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第202話

「ま、待て……っ……日向……日向を……離せっ……!!」 体の痛みなどお構い無しに、父さんが井戸の底へと僕を引き摺り込もうとしている【舐苦童子】へと叫びながら此方へと駆けてくるのが――黒い手の隙間から半開きになり涙を浮かべている最中でも分かるけれども、その父さんの願いとは裏腹に体は微動だにせずヌメヌメとした粘液混じりの黒い影に呑み込まれようとしているのだ。 そして、【舐苦童子】とは別に井戸の中へと引き摺り込もうとされている僕を救うために必死で井戸の方へと駆けてくる父さんの前に立ちはだかりその行動を邪魔しようとする者がいる。 ―――それは、僕の親友の夢月だ。 「な、何を……っ……君は日向の親友だろう?何をボーッと……し……て___」 「ごめんなさい……日向くんのお父さん__でも、単なるニンゲンである貴方を巻き込む訳にはいかないし……ましてや【舐苦童子】の呪場に飛び込まれて日向くん以上の危険に晒す訳にもいかないんだよ……何でってボク、日向くんのお父さんである貴方も大好きだから!!それに日向くんなら大丈夫__****が来て助けてくれるから……」 「何をごちゃごちゃと訳の分からないことを……大人をからかうものじゃない……いいから退きなさいっ……」 と、何とかして井戸に向かおうとする父さんと__何とかして父さんを井戸に向かわせるのを阻止するべく夢月とのやり取りを耳にしながらも僕の体は刻一刻と粘液混じりの黒い影に呑み込まれていく。 体の半身が___井戸に引き摺り込まれた時だっただろうか。 「ひ、日向……っ……!?」 と、父さんが必死の形相で僕の名前を叫びつつ__半ば強引に井戸の前に立ちはだかったままの夢月の体を押しのけるために彼の肩を掴む。 そして、その直後___僕は黒い影のほんの小さな隙間から半開きとなった目で夢月が父さんの唇へ己の唇を押し付けるという__到底信じ難い光景を目の当たりにしてしまったのだ。 まあ、井戸の底へ引き摺り込まれようとしている今の状況の方が冷静に考えれば信じ難い事なのだけれど、どうして夢月が僕の父さんに口付けしたのかという理由がさっぱり訳が分からなくて混乱してしまう。 そんな事を悶々と考えている内に、僕はふと__ある事に気付いた。先程よりも、僕を井戸の底へ引き摺り込もうとしている【舐苦童子の影の手】の力が僅かに弱まっているのだ。それに気付いた僕はハッと我にかえり【影の手】から逃れようと渾身の力を込めつつ必死で体を捩る。 先程まで僕を救おうと無我夢中で叫び続けていた父さんが、井戸の手前で気を失っているかのように鼾をかきつつ横たわっている___。 きっと、父さんに口付けをした夢月の仕業なのだろうと僕は無我夢中で身を捩り抵抗しながら頭の片隅で思ったのだった。

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