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第240話

* 何だか不気味な夢を見た――ような気がする。 はっきりとは覚えていないけれど、僕は夢の中で何処かも分からない不気味な街にいた。 見たこともない街だ。いや、テレビの中では見たことがあったかもしれない。 コンクリートでできた灰色の電柱に、辺りを四方八方囲む高層ビル____。 僕は、夢の中で誰一人としていない道路にただジッと佇みながら真上に広がる空を見上げていた。 星ひとつすらない真っ暗な空なので夢の中は夜なのが分かったのだけれど、夜空に浮かぶ月の様子が現実世界とは全く違う不気味なものだったのをボンヤリとはいえ覚えている。 【目】だ____。 満月の形によく似た【誰かの目】が猫みたいに瞳孔が広がったり狭まったり、ギョロギョロとせわしなく動いていた。 そして、真下に佇む僕を見つけるなり、それ以降はただひたすらカメラのレンズさながら見つめ続けていたという奇怪な光景は目を覚ました今でも何となく覚えている。 突然、背後から近づいてくる何者かの影。僕とさほど背丈は変わらないけれど、不気味な月の逆光のせいでまったく見えない。 それとほぼ同じタイミングで、僕の横を通り過ぎるカラフルなペンキで塗装された小型バス。車体には女の子が好みそうなリボンが巻き付いていたり、てっぺんのスピーカーからは、ある鳥の鳴き声と共に《メリーさんの羊》が繰り返し鳴り響いている。 小型バスが通り過ぎてしばらくすると、頭上に張り巡らされている蜘蛛の巣みたいな電線から、コンクリートに埋め尽くされた地へと何かが落ちてきて既に怯えていた僕に更なる恐怖を与えた。 三羽のカラス。 現実で見慣れているのとは違い、ピクリとも動かない。ましてや、カアカアと喧しくもない。 異様なことに、其々の嘴に鮮やかな青い羽根が咥えられていた。 凄まじい恐怖に襲われる暇もなく、夏の日の陽炎のように周りの景色がぐにゃりと歪んだと自覚した途端に現実の世界へと引き戻される。 * 「……っ____!?」 こんな悪夢を見るのは久しぶりで、勢いよく飛び起きた。 真夏はとうに過ぎたというのに、額は汗でびっしょりと濡れていて、襲いかかる動悸とともに「は…っ…はぁっ……」ともれている僕の声が辺りに響く。 何度か深呼吸をした後に、徐々に落ち着きを取り戻していく。 そして、ようやく動悸が収まりかけた頃____今横たわっているこの場所は、僕の部屋――いや、そもそも僕の住んでいる家じゃないことに気付いた。 それでも、さほど恐怖は感じない。 何故なら、今いるこの場所に昔からよく来ていたと気付いたからだ。 「ここ、作三さんの部屋だ……でも、どうして____」 誰ともなしに呟くと、それから少ししてスラッと襖が開いた。 ひょっこりと現れたのは、やはりこの村に引っ越してきてからずっと見慣れている長袖の灰スモックに身を包み、所々穴の空いた黒いズボンを着ている作三さんだ。 「おお……っ____日向の坊っちゃん。ようやく、目を覚ましたな。おめえ、電光掲示板の前に倒れてたんやち。全く、おらが農作業のついでにたまたま通りかかったから良かったものの……ほれ、とりあえず起きて水でも飲めやな」 「あ、ありがとうございます……作三さ……ん……」 と、身を起こそうとした時のことだった。 ある異変に気付いのは____。 じゃら……っ……。 すぐ近くから、無機質な音が聞こえてきて――少ししてそれが何の音なのか嫌でも気付いた。 鎖の音が、僕の耳を刺激した。 両手、両足に――銀に輝く鎖が巻き付かれていて、僕の体から自由を奪っている。 「ああ、そうやきな。自分では飲めんやろな。でもな、ようやく――おらは昔の約束を果たしたんや。かつて、おめえが、おらの作った美味しい野菜を見てみたいっていっとったやろ……忘れたとはいわせん。おらの、じじから乱暴されて役立たず呼ばわりされて蔑まれても……おらがこの村にずっといたのは、おめえとの約束を決して忘れなかったからや。そんでもな、ようやく……美味しい野菜ができたんや……やっと、おめえに見せてやれる。あん時、おめえ……いっとったよな。夢みてえに美味しい野菜を作ることが出来たら……おらとずっと一緒にいるって……なあ、そうやろ?」 自分の耳を疑った。 作三さんと、そんな約束を交わしたことなんて全く覚えていないからだ。 体の自由を奪われている以上、ただひたすら怯えながら狂ったように均衡を保つ不気味な笑みを浮かべている作三さんの顔を見つめることしか出来ない。 そのうちに、ふと――どこか近くから嗅ぎ慣れたある匂いが漂っていることに気付いた。 割と、すぐにそれが何の香りなのかピンときた。不思議なことに途徹もない恐怖に支配されていても、妙に頭はさえている。 目の前にいる作三さんの姿が、得たいの知れない存在に見えているというのに。 とにかく、ひとつハッキリしていることがある。 どこからか、漂ってきていて妙に心地よさを孕む香り。 これは、土の香りだ____。

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