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第241話

ここは、作三さんの家の中であり彼の部屋なのだから、こんなにも強烈な《土の匂い》が漂ってくること自体がおかしいと思った。 それよりも何よりも、そもそも今まで親切にしてくれた作三さんが別人みたいに豹変して、しかも僕を拘束していることの方がおかしいのだけれど____。 「ど、どうして……っ____どうして、こんな……」 「だから……おらの、とっておきの野菜――いんや、作品をおめえに見せてえからやっち。そんなに不思議がっとるゆうことは約束を忘れちまったんか……。昔、おめえがよその村からこっちに来て、兄だか父に会いにきたことがあったやろ。そん時な、おら……おめえに一目惚れしたんや。初恋やった。そんで、次にまたこの村に来た時に《とっておきの野菜》を作ってくれたら願いを叶えてくれるってな約束したんや。おらの願いは、おめえとずっとこの村で暮らして愛を育むことやからな」 作三さんは、明らかに正気さを失っている。 今、目の前にいる彼が向けてくる硝子玉みたいに感情の込もっていない目には、僕の姿は写っていない。 僕には、昔――彼とそんな《約束》をしたことも、ましてや愛を育む願いを作三さんが抱いているといったことも全く覚えていない。 (作三さんは……僕と誰を勘違いしているんだろう……待って、そういえば――さっき……) ふと、つい先ほど彼が言っていたある言葉が気にかかった。それを踏まえて、考えてみると僕の頭にある身近な人物が思い浮かんだ。 正確にいえば、本当ならば常に側にいて身近な存在なはずだけれども、今はそうとは言い切れない大切な存在____。 「さ、作三……さ……僕は……僕は――光太郎じゃ……」 今は別な村(元は僕の故郷だ)にいる弟の光太郎ならば、作三さんが僕と間違ってもおかしくはない。 かつて彼と仲良しだった時は、姿だけ見ればまるで双子みたいにそっくりだと周りから言われていた。 僕は、光太郎と違って【怪異なるモノ】の干渉を受けやすくて結果的に元いた村を出てこの村に来た訳だけれど、作三さんにとってそんな事情は理解できる筈もない。 とにかく、今考えなきゃいけないのは――どうやってこの正気さを失ってしまった作三さんから逃げればよいかということだ。 体の自由は奪われ、呂律もうまく回らなくなってきた。 それに、さっきまでは聞こえてこなかったある音が強制的に耳に入ってきてゾワリと鳥肌がたってしまう。 その音は、奥の部屋に繋がる襖から聞こえてくるのだ。 今は閉まっている襖を鋭い爪でギィ、ギィィと引っ掻く不気味な音。そして、それに合わせるかのようにわざとらしいけれども可愛らしい猫の鳴き声が聞こえてきて、更に不気味さを醸し出している。 芋虫みたいに、ずりずりと身を這わせながら襖へと近寄っていく僕を作三さんが止めることはない。 むしろ、嬉しそうに笑みを浮かべつつその無様な様を見下ろしてくるのが――とても怖くて堪らない。 近寄っていく度に、《土の匂い》がどんどん増していくのが分かる。 そして、いつの間にか半開きになっていた襖の隙間から――夢の中で見た月みたいにギョロギョロと動く猫の目が惨めな僕の姿を捉える光景も分かった。 【なるほど、こいつが……お前が言っていた人間か――まったく、いつまでここに待たせるつもりかと思っていたぞ……しかし、ようやくだ。どうやら、こやつは特別な人間らしいな……怪異なるモノを引き寄せる体質であり、なおかつソレらにエネルギーを分け与えることのできる存在でもある……こやつは利用せざるを得ない……】 昔、幼い頃に母さんが読んでくれた絵本《不思議な国のアリス》に出てきたチシャ猫みたいに口元を三日月形に引き寄せつつ笑みを浮かべながら、消えたり出現したりを繰り返している異様としかいいようのない奇妙な猫は小柄な様からは想像もつかないくらいに強い力で引きずりつつ僕を無理やり部屋の中央付近へと連れてくると、ふっと横へ目線を向ける。 それに、正気さを失った作三さんもそちらへと目を向けた。 透明で四角い大きな箱が置かれている光景が僕の目に飛び込んできた。 とても異様なのは、それがまるで蟻の観察キットみたいになっていることだ。 箱には、ぎっしりと土が詰まっていて、何と中には複数の人間が胎児さながらの格好をして捕らわれの身となっている。 三人いる。しかも、どの人も____全てが僕の知っている人達だ。 ずいぶん前に命を落とした筈のクリスさんに、親友の夢月――それに、作三さんのおじいさんだ。 「こん外国人は……おめえにベタベタしてたからな。邪魔やっち、再度始末することにしたんや……最初は馬鹿な村人が勘違いしたせいで失敗したやきな。まあ、ちゃんと息の音を止められんかったおらも悪かったやな。んで、おめえの親友とやらのガキはよう知らん。そこの亞戯が連れてきたんや。んで、最後はおらのじいさん。単純なことや。こいつは、おらを散々役立たずいうて暴力もふるってきたやき、外国人とは別の理由とはいえ邪魔やから退治した。野菜に群がる虫みたいやと思わんか?」 クリスさんと、夢月は呼吸しているみたいだ。 けれど、作三さんのおじいさんはピクリとも動かず――既に息絶えてしまっているのが弱りきった僕でも分かってしまったためポロポロと涙をこぼしながら目の前にいる作三さんを睨み付けるのだった。 しかし、そこで僕の意識は途絶えてしまう。 亞戯と呼ばれた奇妙な猫が、僕の首筋にがぶりと食らい付いたせいだ。

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