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第250話

「おい、それはつまりコイツが黒幕ってことなのか?そんな訳がないだろ……だって、王子とやらはユメミ姫とかいうコイツと……ずっとここで暮らしていたんだろ?そんな事件を起こす暇も、そもそも意味すらないじゃないか」 唐突に、先程までは正気を保っていたカサネに異変が起こる。目が虚ろになり、ボーッとひたすらにユメミの方に見惚れているだけでなく、無意識のうちに《ドブ川のような嫌な匂いのする泥が沸き上がる泉》の方へと歩を進ませ、その身を沈ませようとしているのだ。 光太郎にかけている言葉も最初のうちは怪訝そうな表情を浮かべつつ放ったものだったにも関わらず、途端におかしくなっていたことからこの異変を起こしているのは【ユメミ】だと即座に判断した光太郎は《彼女》をジロリと睨み付けながら渡すまいとカサネの体を自らの方へ引き寄せようと試みる。 「ねえ、ひとつ聞かせてよ。確かにコイツは元々は怪異なるモノ――つまり、今のお前達に近しいモノだ。でも 、お前達からしてみれば敵だともいえるよね?そうまでして、きみは何がやりたいわけ?単に、この事件の黒幕の言いなりにならなきゃいけないから?違うだろ、きみは……いや、お前には――人の道を誤ってでもやりたい目標があるはずなんだ。きみをよく見てた日向にいが手紙でそれを教えてくれた」 日向とは違って、日頃からあまり他人に深い興味を抱かない光太郎。そんな彼が、現実世界で碌に接点のない【ユメミ】に対してがむしゃらに説得するのは、己と似た部分があると【ユメミ】に対して本能的に察知したせいだ。 そんな光太郎の想いを、敵である【ユメミ】も察知したのだろう。耐えがたい程に強烈なドブ川の臭いが漂ってくる《チョコレートの泉》へとカサネを引きずり込もうとしていた手がピタリと止まった。 「本当の君に……日向にいが受け入れてくれる君に戻るなら――今しかないよ。だから、日向にいが何処にいるのかを……教えて」 日向達グループの中で、更にはいくら元怪異なるモノでありながらも小鈴よりも鈍感で単純なカサネでさえ、光太郎が言葉を巧みに選びながら【ユメミ】の悪夢に侵食されきった凍った心を溶かそうとしているのが分かった。 【…………】 光太郎の言葉と己の悪に染まりきった心とを天秤にかけ必死で自問自答しているであろう【ユメミ】は、とうとう何も言葉を発しなくなってしまう。彼女が腕に抱いている【水色のウサギのぬいぐるみ】も、まるで電池が切れたしゃべるお人形さんみたいにウンともスンとも言わなくなり、ぐったりと項垂れてしまっている。 とにかく、光太郎が上手いこと【ユメミ】を説得してくれるおかげで、これで元の世界に戻れて日向を探せると思い込んでいたカサネは、とりあえず安心してしまった。 だからこそ、僅かながらでも安心している自らの背後から忍びよってきていた、ある小さな気配にさえ気付くことが出来なかったのだ。 何とかして沈黙を守りぬこうと、ひたすら俯いている【ユメミ】から日向を探す手掛かりを見つけようと奮闘しているカサネらの背後から忍びよる小さな気配____。 その正体は、このパステルカラーという淡い色の【呪場】には相応しくないくらいに美しい青い色を持つ小鳥であり、光太郎は図鑑でしか見たことがなかった一羽の《ルリビタキ》なのだと振り向いたことでようやく気付くのだった。

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