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第252話
もちろん、【カサネ】とて何も行動しようとしなかった訳ではない。
【ルリビタキ】の羽根から変化した不気味に歪む青白い人間の手へ擬態した《怪異》による攻撃のせいで弱りかけている光太郎へ駆け寄り、すぐさま救い出そうとしたものの――あろうことかその被害者である光太郎によってそれを拒否されたのだ。
息苦しさのせいで――ぜい、ぜい……ひゅーひゅーと微かに漏らす音が聞こえてくるばかりなせいで直接的に声に出して「こっちに来るな」と訴えかけている訳ではない。
光太郎の涙に歪む、その切なそうな目が【カサネ】に対して「こっちに来るな」と強く訴えかけているのだ。
ふと、【カサネ】は弱りきった光太郎の口がもごもごと蚯蚓の如く蠢いているのに気付いた。しかしながら、先程までは息切れを起こしてしまっているせいでそう見えるだけだと勝手に思い込んでいた。
「____(寄)、(口)……(我)……」
言葉にこそ出てはいないものの、注意して見てみると気を失ったのではないかと心配してしまうほどにぐったりと俯きかけている光太郎はひたすらに同じことを呟いているように【カサネ】には見える。
しかし、【ルリビタキ】はそんな光太郎丸の僅かな異変になど気付いていない。
おそらくだが、光太郎が饒舌ではなくなったせいで僅かな油断が生まれたからだろう。
ついさっきまでは強気な言葉をペラペラと話す大人びた光太郎が今や人形の如くぐったりと俯き弱りきっているせいで、彼の空っぽな心は勝手に勝利を確信しているに違いない。
しかし、光太郎はこんな所で、しおらしくなる程ヤワじゃないと【カサネ】が思わざるを得ない出来事がこの後で起こるなど、この時の彼は思いもしなかった。
突如として、糸が切れた人形のように光太郎の意識がなくなり、がくんっと倒れ込んでじう。
【カサネ】がいくら呼びかけても、反応がないため想像しうる最悪の事態を真っ先に思い浮かべてしまったが、どうやら自分か思うような事態に陥っている訳じゃないと悟ったのは愉快げにさえずる【ルリビタキ】の背後から忍び寄る存在がいることに気付いたためだ。
しかしながら、その存在は光太郎ではない。
チョコレートの香りが漂う泥にまみれ、訳の分からないまま怪異に巻き込まれた哀れな《小見山くん》 が、ほふく前進さながら敵に気付かれないように背後から忍び寄っているのだ。
空っぽな姿で《現実世界》から目を反らし、挙げ句の果てには《怪異と呪場》 を利用して三人もの命を奪った男に更正の余地などない。
【ユメミ】も《現実世界》から目を反らして無関係な人間を巻き込んで《怪異と呪場》を思うまま利用して《空想世界》に浸ってはいたが、それとこれとでは次元が違う。
【ルリビタキ】は取り返しのつかない過ちを犯したのだ。少なくとも、今は泣き疲れて糸が切れたお人形のように動かなくなってしまったユメミとは比べ物にならないくらいの大きな罪を犯した。
【小見山くん】の両手が背を向けていた【ルリビタキ】の身を容赦なく掴む。
そして、突如として俯いていたばかりの顔をあげる光太郎。まるで、別人のように鋭い目付きで【ルリビタキ】を睨み付ける。
『……して、返してください――ぼくが大好きで愛らしくて堪らない……人間の喜び、悲しみ、怒り、楽しさ……そこからなる三人もの命を……返してください……っ……』
目が赤く光っているだけでなく、光太郎の口から発せられているのは、ここにはいる筈のない小鈴の声だ。
【……っ____!?】
これには、【ルリビタキ】でさえも予想外な出来事だったのだろう。
容易に想像できたのは、ユメミの妄想という都合のよい夢が生み出したチョコレートみたいな泉から這い出てきて泥まみれになった哀れな人間――《小見山》の 両手に囚われの身となった【ルリビタキ】は先程の自信に満ちた様子から一転、ガクガクと青い羽毛に覆われた小さな体を震わせていることしか出来ていないからだ。
いくら元怪異なるモノである【カサネ】といえども、人間の力を侮っていけないということは分かる。
いや、正確にいうのならば主人(宿り木ともいう)である日和やその甥である日向達と出会ってその罪を受け入れたからこそ自覚できたのだ。
怪異なるモノよりも弱小とされてきた人間とはいえ、中には日和や日向のように異物といえる特別な存在もいる。
ここにきて、ようやく分かったけれども日和の血を引くもう一人の甥である光太郎も、また【特別な存在】なのだ。
《怪異なるモノ》の一部を使用し、その上で術を唱え、己に憑依させて自らの体力と意思を犠牲にするという能力____。
まさか《口寄せ》が光太郎に使えるなどとは思いもしなかったカサネは驚愕して、言葉すら出せない。
いつの間にかカサネが気付かないうちに、此処にはいない筈の小鈴と《口寄せ》の術と繋がり、尚且つ自らの身を犠牲することにより憑依させると、ユメミのチョコレートみたいな泉に気絶している《小見山くん》を意図的に操って【ルリビタキ】を捕らえたのだ。
その通りといわんばかりに【ルリビタキ】の青く美しい羽毛に覆われた小さな体は、どんどんと小鈴が憑依したことによって光太郎の伸ばされた指先から現れた細長く頑丈な髪の毛によって覆い尽くされてゆく。
ついさっきまでは光太郎に対して攻撃していた【ルリビタキ】は今や形勢逆転とばかりに余裕などなくなっていっているのが見てとれた。
小鈴の髪の毛自体に怪異力が込められているせいだろう。
「おい……っ__このまま消えるんじゃねえぞ。一連の騒ぎを起こした黒幕っつーのは……誰なんだ?ヒナタを捕らえているのはいったい……何の怪異なるモノの仕業なんだ!?」
【……っ…………し、収穫する……者____】
瀕死の【ルリビタキ】は、その言葉のみを囀り――そのまま、跡形もなく消え去ってしまう。
まるで、最初からそんな物は存在すらしていなかったといわんばかりに静寂のみが辺りを支配する。
正確にいうと静寂ばかりではなく、視覚的な意味で白い霧が漂い始め、やがて三人は普段見慣れている家の前の田んぼの真ん中に立ち尽くしていることに気付いた。
「……ネさん____カサネさん……大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だが……コイツの方こそ大丈夫なのか?」
カサネは小鈴の声を聞いた途端にハッと我にかえると、田んぼ道に立ってはいるけれども、どことなく魂が抜けてしまったかのように心ここにあらずといった様子の光太郎を横目で見つめながら尋ねる。
「口寄せの術は、とても体力と精神力を使うと言っていました。なので、コータローさんは力を使い過ぎたせいで一時的に気を失ってしまったんだと思います。あとは本人の力次第と、あの方はおっしゃっていたのですが____コータローさんなら大丈夫だと思いますよ」
カサネが困惑する中、小鈴はこれくらいで驚いてどうするといわんばかりに冷静な口調で彼の問いかけに答える。
すると、それから少しして今まで微動だにしなかった光太郎の体がビクッと大きく震えた。
その反動で、光太郎は先日から降った雨のせいで濡れた田んぼ道に両膝をついて身を屈めるといった態勢になったものの、カサネが慌てて彼の体を引き上げてみたものの怪我をしている訳ではないし、特に具合が悪そうには見えない。
「だ、大丈夫なのかよ……とりあえず具合が悪いとことかないのか……っ…………!?」
咄嗟にカサネは未だに夢を見ているかのようにぼうっとしている光太郎の額へと己の手を当てた。
カサネにとっては以前、日向の父である日陰と共に見たテレビドラマの真似事に過ぎないが光太郎はそうされた途端にピクッと体を震わせるとジロリとカサネを睨み付ける。
「う、うるさいなぁ……そんなキンキン声で聞かれなくても大丈夫だよ。それよりも、アンタが今気にかけるべきことは日向にいの安全でしょ……。さっき、あの忌々しい青い鳥が言った収穫者――その正体に心当たりがある。これから頼りない叔父さんを引っ張って……そいつの元に行くから一度家に戻らないと。でも、その……気にかけてくれて――あ、あり……が……とう……」
光太郎の口から放たれた最後の一言だけは、カサネにはよく聞こえなかった。
すぐ近くにいたにも関わらず____。
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