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第264話

「嘘つき____」 突如として、どこからか明確には分からないものの、近くの方から今まで何度も耳にしてきたことのある冷ややかな声が聞こえてくる。 僕が、何よりも苦手だった無機質で怒りをはらんだ低い声____。 情けないことに久しぶりに対面したことからくる安堵感を抱くよりも、かつて村で共に過ごし結果的に決別してしまった苦い思い出からくる罪悪感の方が心を支配してしまって、その気まずさから、すぐに声の主の方を見上げることはできない。 「こ……う……たろ____」 ヒュー、ヒューと喘息さながらの苦痛を伴う掠れ声で何とか弟である彼の名を呼んだのだけれど、それに対して何も言葉を発せられることはなく代わりと言わんばかりに彼に睨み付けられてしまったことに気付くと一抹の気まずさから慌てて顔を逸らそうとしてしまう。 でも、その時に気がついた。 「コウ……もしかして、泣いて____」 【光太郎】だから《コウ》という単純極まりない、かつての仲がギクシャクしていなかった幼い頃の呼び名で彼に話しかけてしまった僕。 すると____、 「う……っ____うるさいんだけど。泣いてなんかないんだから。日向にいが無事で良かったって、安心してるわけじゃ……っ……ない___んだから」 僕よりも遥かにしっかり者で碌に泣きもしなかった子供の頃の彼からは予想もつかないような反応が返ってきて、僕は思わず笑ってしまう。 それは、久しぶりに兄弟らしい会話を交わしたおかげでもあったためだ。 今思えば、光太郎がこのような天の邪鬼みたいな態度を取るのを見るのは彼が『こんな不吉な村なんて……出ていくから。パパも、日向にいも……それを望んでいるんでしょ?』と俯きつつ吐き捨てるように言った後に本当に村から出ていってしまう以前にも何度か経験してきたことだった。 兄としては【本心】をさらけ出してくれても構わないのにと心配するのもあるけれども、それでこそ光太郎だと少し安心してしまう面もある。 しかしながら、兄弟再開の喜びの束の間――ふいに先ほど弟が冷たく放った言葉の意味合いについて、このまま頭からまるっきり忘れ去るということができずに恐る恐る尋ねてみる。 「ねえ、コウ……さっき言った嘘つきって____いったい何のことなの?」 「…………っ____!?」 弟の視線が、僕の顔から【怪異なるモノ】と化してしまった作三さんの元へと素早く移ると、当時者は口元を醜く歪ませて、我関せずといわんばかりに、おどけた態度をとる。 「日向にい…………実は、この不吉な村から出て行ったのは村人の奴らが鬱陶しくて嫌になったからだとか、このまま住み続けたら自分の気が狂うと思ったからだけじゃないんだよ。他にも理由があったんだ。でも、パパにも日向にいにも言えなかった――ううん、言いたくなかったんだけど____それは、この……作三に関すること」 「えっ…………作三さんのこと?コウは作三さんが原因で……村から出ていくことになったの?」 僕が尋ねた直後、真っ直ぐに見据えてくる光太郎の瞳。明らかに、怒りをはらんだ目付きをしていたため、何も言えなくなってしまう。 「とぼけないで……日向にいだって、もう薄々気付いてるんでしょ?作三が救いようのない病気だってこと。病気であるのをいいことに、あんなに親切にしてくれた竹爺の命を奪ったってこと。怪異なるモノに憑依されたなんて言い訳にならない……だって、竹爺はそれを分かってて作三に、ずっと忠告してた。竹爺はずっと昔に想い人だった花蓮という女の人を……怪異なるモノに憑依されたせいで失っていたんだから……」 そう言って、光太郎は目に涙を浮かべながらズボンのポケットから【古ぼけた懐中時計】を取り出すと震える手で僕の方へと差し出した。 その懐中時計がどういうものなのか、僕には見当もつかない。 ただ、それを見た瞬間に何故だか胸が締め付けられるような感覚に陥ってしまった。 そして、何故か僕までもが光太郎と同じように目に涙を浮かべてしまう。 無意識のうちに、そのまま両目を閉じると瞼の裏にある光景がはっきりと浮かび上がってくる。 『竹造さん、申し訳ありません。私、これから……いつものお気に入りの喫茶店で阿久津さんと伊織田さんと会うんですの。あら、誤解なさらないで。私の想い人は貴方だけですから。二人とのお勉強会が終わったら、お宅に伺いますので、どうか、お待ちになってて下さいませ』 袴姿の艶やかで腰まである黒髪が特徴的な一人の小柄な女性が此方へ微笑みかけてくる。まさに幸せの絶頂といわんばかりの雰囲気だったが、それも長くは続かなかった。 次の瞬間、可憐な美少女は虚ろな目で視線をさ迷わせながら全身が朱に染まっている光景がはっきりと浮かび上がってくる。高級そうな白い手袋は赤く染まり、半開きになった口元からはぶつぶつと何事かを呟いている。 『……く____は……やく……』 『……なく……ちゃ____行かなく……ちゃ____造……さん……が……』 ふと、視界が一瞬真っ暗くなる。 その直後に飛び込んできた光景は、まさに地獄としか言い様のない凄惨な光景。 目の前に、息も絶え絶えな二人の男性のうちの一人が床にうつ伏せとなりながら此方へ向かって何事かを叫んでる。 しかし、何と言っているのかまでは分からない。 何かを必死になって止めようとしているのは分かるのだけれども、それを知る由などありはしないのだ。 そして、いつの間にか手に持っていた錆びひとつない手入れされた調理器具の先端が首へ徐々に向かっていくのを止める術もなく、瞼の裏に浮かび上がってきた光景は消え去ってしまうのだった。

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