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第275話
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目を覚まし、寝ぼけ眼でゆっくりとした足取りで階段を降りて行く。居間に着いた時には既に日和叔父さんは外の仕事へ行ったのかいなかった。
しかし、いつもは僕よりも少し遅く起きてくる筈の光太郎が珍しく早起きして椅子に座っているのが見える。
「何…………?」
やはりと言うべきか、いつも察しが良く賢い弟には僕の戸惑いがバレてしまうのに、そう時間はかからなかった。
さっきまで椅子に座りながら本に目を向けていた光太郎が、怪訝そうな目付きで此方を見つめつつ、問いかけてくる。
それでも僕なりに必死に隠していたつもりだけれど、なかなか上手くはいかないものだと堪忍して向かいの席に座る光太郎の顔をしっかりと見ることにした。
幸いなことに、僕から背を向けているカサネはシャオリンと共に台所で熱心に夕飯に出される予定のハンバーグの仕込みをしてくれているし、そもそも急に長期休暇を取った父さんはまだ部屋の中にいる。
更に日和叔父さんに至っては、そんな父さんを気遣っているのかは分からないけれども、作家とは別に日雇いの仕事を頑張ってやってくれている最中で家にいないことが多いし、こう言っては何だけれど調度いいことに今このテーブルには兄弟二人しか座っていない。
(光太郎が建臣くんと一緒にいた理由を聞くんだったら――今しかない____)
ただ、此方に背を向けているとはいえカサネとシャオリンが近くにいる状況で堂々と尋ねるのは、やっぱり気が引けたので鉛筆でメモ用紙にこう書いた。
『学校が終わった後で、建臣くんと会った?僕、二人がいるのを見た気がしたんだけど……気のせいだよね?』
光太郎の目線が、ちらりと僕の右斜め上に向けられたのに気付いた。
やっぱり、光太郎のすぐ背後にある台所で作業をしているカサネ(シャオリンにも)の存在が気になっているんだろうと思って少しだけ後悔してしまう。
でも、光太郎のことだから____
『日向にいったら……建臣がこの村にいるわけがないじゃん。どうせ、誰か別の人と見間違えたんでしょ……まったく、しっかりしてよ』
____と、そんなニュアンスの言葉を返してくるものだとばかり思っていた。
「…………」
しかし、此方の予想に反して光太郎はすぐには答えてはくれない。
それどころか、僕の目には素早く顔を背けた光太郎の目元が涙で潤んでいるように見えてしまったのだ。
「あ……っ____ちょっと待ってよ……光太郎ってば……」
此方へ背中を向けたまま、椅子にぶら下がるランドセルを乱暴にひっつかみ、無言で玄関へと駆けて行く弟の後を追おうとした僕だったけれど突如として飛び込んできた奇妙な光景を目の当たりにして思わず息を呑んで動きを止めてしまった。
それからすぐに玄関の方からガラッと大きな音をたてて、直後に玄関の戸が閉まった音が確かに聞こえてくる。
つまり、光太郎は既に外へ出て先に学校へと向かっていった筈____。
では、どうして僕の目に仲睦まじく料理をしているカサネとシャオリンのすぐ後ろを光太郎の姿が(一瞬にしろ)横ぎるという、本来ならば絶対にある筈のない光景が映ったのだろうか____。
「あ……っ……おい……っ……ヒナタ。そろそろ、学校に行かなくていいのかよ?シャオリンのクラスは昨日野外学習だったから、代わりに今日が休みだし、オレは【キョウシ】とやらの仕事は休みだけど……オマエはそうじゃねえんだろ?」
そのことが気にはなったものの、ふいに少し心配そうな顔をしているカサネから問いかけられ、どうしても光太郎と御三木の建臣との関係性と複雑な事情について打ち明けることができないでいる僕は慌てて支度を済ませて勢い良く玄関へ向かって駆けて行くのだった。
そういえば――と、あることを思い出して、ふいに足を止める。
聞き慣れた《鏡の中のお化け》である笑子ちゃんの笑い声も____
これまた聞き慣れてしまった、カーテンの隙間から見え隠れする祖母の陰気極まりないお小言も____
いつの間にか聞こえなくなっていたことに、今更ながら気付いたのだ。
まるで周囲を覆っていた霧が消え去り、雲の隙間から差し込む太陽の光を浴びたかのよつな、とても清々しい気分____。
そんなことがあったから、通学路の途中で、光太郎と御三木の建臣との件なんて、親友である夢月との待ち合わせ場所である《慈石寿木》に繋がる道にさしかかった頃には、すっかり忘れてしまうのだった。
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