281 / 285

第281話

        * * * (おかしい………もう、待ち合わせの時間はとっくに過ぎてるのに……日向の奴ならともかく神経質で遅刻に厳しい光太郎が遅れるなんて____) つい今しがた、本来であれば光太郎と共に乗っていた筈の電車を見送るしかなかった小見山は、不安を抱く。 そして、ズボンからスマホを取り出した。 『この電話は電源が入っていないか……』 『電波の届かないところにあるため……かかりません___』 何度鳴らしてみても、淡々とした声色のアナウンスが流れ続けるばかりだ。   とうとう痺れを切らした小見山は、これ以上此処で待っていたとしても事態は好転しないだろうと判断し、スマホを無造作にズボンのポケットを突っ込むと、そのままある場所へ向かって走っていく。          * 「おい……っ___光太郎!!ここにいるんだろ!?」 焦っているせいで、つい呼び鈴を鳴らすのを忘れてしまい、手加減しているとはいえ、引き戸の扉を叩き続ける。 すると、唐突に扉が開き、ある人物が息を切らしている小見山を出迎える。 「あれれ〜、何でキミがここにいるの?キミがこの家に来る理由なんてあったっけ?」 「………」 つい最近、転入生としてクラスメイトとなった井森と矢守が軽快な足取りでカーテンを閉め切ったせいで碌に陽の差さない薄暗い廊下を歩いてくる。 とはいえ、軽快な態度をとっているのは井森だけで矢守は先程からずっと黙ったまま訝し気な目線で見つめてくるため、思わず息を呑んでしまう。 「あ……っ____」 と、ふいに井森の目線が別の方向へ向いたため何の気なしに小見山もそちらへ顔を向ける。 右にある階段から、光太郎達の父である日陰が降りてくる。 普通ならば、挨拶するのが当然なのだが、それができないのは光太郎の父親である日陰の様子が余りにも異様だからだ。 一言でいうと、生気がない。 よく観察してみると、人間であるならば自然現象である《瞬き》を日陰は全くしていない。口元は半開きになり、虚空を見上げながら一点を凝視しつつ、ひたすら玄関に向かって覚束ない足取りで歩いてくる。 更に不気味なのは、彼が無表情ではなく、うっすらと笑っているのがそこはかとなく察せられることだ。 しかし、井森の方はまるで気にする様子もなく日陰の体を引き寄せて抱きついた。  その直後、日陰は小刻みに震える手で満足そうな井森の頭を撫で続ける。 「今のここは、おまえがいるべき場所じゃない__」 ふいに、頭の中に直接――夢で見た名前も知らない男の声が聞こえてくる。 途端にハッと我にかえった小見山は慌てて身を翻すと、一目散に光太郎の家から出て行くのだった。          * (ったく………何なんだよ、あの気味悪い奴らは…………って、待てよ___) それから、小見山は碌に人もいない畦道を無我夢中で駆けて行き、やがて足をぴたりと止める。 日陰には、少し年の離れた弟である日和がいる筈で会いに行くべきだと思い立ったからだ。先程の家にいるかもしれない――と少しばかり不安を感じたものの、いくら何でも、あの異様な雰囲気の漂う家にはいないだろうと前向きに考えるしかなかった。 問題は日和が今何処にいるか――だが、小見山なりに考え抜いた後に、ある場所へ行ってみることにした。           * (普通、身内がいなくなったとなれば……まずは親族を頼るのではないか___) そう考えた小見山は、とりあえず【松聡院家】の屋敷前まで歩いてきた。問題は、すんなりと屋敷内に入れるかどうかなのだが、やってみなければ分からないじゃないかと半ば強引に不安な気持ちを押し込めると深呼吸をしてから門を叩く。 (やっぱり……駄目か___) 暫く待ってみても、門はうんともすんとも反応しないし、中から誰かが来る気配すら感じられない。 溜息をついて、身を翻しかけた直後のことだった。 「あんた、誰……?」 「おまえ、誰……?」 ぴったりと同じタイミングで自分よりも少し年上だろうと思われる男が屋敷のある敷地内から二人出てきたため、思わず呆気にとられてしまう。 一人は、右目に黒い眼帯をしている。 一人は、左目に黒い眼帯をしている。 「……あっ___その……日和っていう男の人が此処にいませんか?多分、この松聡院家の分家のひと……」 「知らない」 小見山が話している途中にも関わらず、二人はぴったりと同じタイミングで答えるなり、屋敷から出て行ってしまうのだった。 「…………」 二人が出て行ってしまったため、どうしたらいいか分からずに佇んでしまう小見山。 しかし、このまま突っ立っていても事態は何も好転しないと考え直す。 (大事な人達を守るためとはいえ)不法侵入なのだから出て行くべきか――という葛藤を抱きつつも、恐る恐る屋敷がある方向へと向けて歩みを進めていく。 やがて、自分の家が丸ごと収まってしまうのではないかという程に広大かつ見事に竹で埋め尽くされ、錦鯉が優雅に泳ぐ池のある中庭へと辿り着く。 松聡院家は代々《酒》を造り、売ることによって富を築いてきた一族だ。そのため屋敷内だけでなく、外にも酒の匂いが漂い続けていて、何ともいえない気分になってしまう。 (やばい………とにかく、早く屋敷にまで行かないと___気持ちわりぃ……) そんなこんなで中庭を観て回っていたが、ふとある部分の土が盛り上がっていることに気付いて怪訝そうな表情を浮かべる。 だが、流石に他人様の家の土を勝手に掘り返すのは良心が傷む。 とにかく、見ることにしようと足を一歩踏み出した直後のこと___。 「ねえ、どうして余所者がここにいるのかしら?しかも、よく見てみたら、まだ子供じゃない………」 思わず、顔が引き攣ってしまう。 (よりにもよって女かよ………っ___面倒くせぇな……どうせ、姉貴みてえに口うるさいんだろ………) 渋々、振り向くと言葉に詰まってしまう。 その声の主の容貌が、まるで、この世のものではないと錯覚する程に美しさと儚さを纏っているからだ。

ともだちにシェアしよう!