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左手首にぶら下がる無機質な鎖。 それがジャラジャラと揺れる。 キッチンからは食欲を唆る香りが流れ、千田が動くたびに鎖を通して振動が伝わってくる。 座ったままキッチンに目をやれば、手際よく料理を作る千田の姿。 『……腹減った』 誤魔化すように呟いた三園の言葉にクスッと笑うと、千田はいつもと同じように『何食べたい?』と立ち上がった。 料理を作るとき、千田はいつも楽しそうで鼻歌まで聞こえてくることがあったのに。 今、無言のままキッチンに立つその背中は、何かを堪えているかのように見える。 ……気がする。 「なぁ、千田」 「ん?」 「お前、だい…」 「?」 『大丈夫か?』 そう言葉にしようとして、三園は口を噤んだ。 そのまま額をガン!と机に打ち付け、自分の言おうとした言葉を必死で打ち消した。 いやいやいや! 何で俺がコイツの心配してんだ。 人が良すぎだろ、俺。 自分が自由になったら千田は悲しむのだろうか…という思考に、信じられないような気持ちになる。 だいたい千田がそう言ったわけでは無いし、鼻歌を歌っていない=悲しんでいる、というわけでもない。 「チッ、」 そう感じてしまっている自身の考えに思わず舌打ちがもれ、三園はもう一度額を机に打ち付けた。 「三園、どうしたの?何か凄い音してるけど、頭割れてない?」 「なんでもねぇ…」 「痛そうだったけど?」 顔を上げないでいる三園に柔らかい声が降ってくる。 ジャラ…と鎖が床を滑る音と千田が近づいてくる気配に益々顔が上げられないでいると、頭に大きな手が添えられた。 「もう少しでできるからね。」 言葉と共に子供をあやすように頭を軽く撫でられる。 「うるせぇよ、良いからさっさと作れ」 パシッと千田の手を払い除け俯いたまま呟けば、「何か理不尽だな。」と笑われた。 キッチンに戻る背中をチラッとみやる。 先程まで帯びていたどこか物悲しげな空気が無くなっているように見えて、三園の口からは無意識に安堵の溜め息がもれていた。 「食材なくて簡単な物しか作れなくてごめんね」 そう言って机に置かれたのはハヤシライスだった。 大皿に山盛りになった白米に惜しげなく掛けられたルーからは、白い湯気と胃を刺激する香りが立っている。 「…イタダキマス」 「何でちょっとカタコトなの。」 クスクスと笑いながら三園と同じように手を合わせると、千田も「頂きます」と丁寧に挨拶をした。 「美味い」 一口大きく口の中に頬張ると、三園から素直な感想がもれる。 「そう、良かった」 やはり花が綻ぶようにフワッと微笑む千田から目を離し、三園はそのままスプーンを口に運び続けた。 無言のまま、暫く二人の咀嚼音と食器の音だけが室内に響く。 モグモグと口を膨らませて食べる三園からはリスが連想されて、千田は声を出さずに笑った。 机にぶつけた衝撃でまだ僅かに三園の額は赤い。 なぜ急にあんなことをしたのかは謎だが、触れた髪の毛は柔らかくて胸がグッと詰まった。 まだ触れていたかったな… 正直な気持ちを伝えれば三園は怒るだろうけど。 「…ハヤシライスって簡単か?」 小さな声が聞こえ、千田は三園に視線を移した。 一口が大きく噛む回数も少ないのか、三園の皿は半分以上のハヤシライスが消えている。 「簡単だよ。肉と玉ねぎがあればできる。味付けも大して必要無いし」 「ふーん…ま、別に作る訳じゃねぇけどな。」 そう言って残りのハヤシライスを集める三園に千田は笑ってみせると、手を差し出した。 「おかわりあるよ。」 「ん、もらう。」 素直に皿を手渡す姿が好ましく、千田は目を細めた。 それにしても…良かった、食材足りて。 ルーを白米に掛けながら小さく息をつく。 五日間、男二人で食事をしていれば流石に食材が尽きてきていた。 何でも美味しそうに食べるんだから、ほんと作りがいあるよね。 毎食2人分とは思えない量を作ったが、残ること無く完食されていた。 五日分。 十分な量の食材を準備していたつもりだが、想定よりも三園の食べる量が多かったことは計算違いだった。 そこまで考えて、千田の動きは止まった。 五日、か… 「…………………」 約束の五日目。 来なければ良いと願ったその日が来ている。 「……千田?」 名前を呼ばれハッとする。 ダメだ、考えるな… 約束したじゃないか、『五日間』と。 三園の人権を無視した、独りよがりの五日間。 これ以上彼に何を強いる? ギュッと瞳を閉じ、胸に湧く黒く醜い感情を押し込める。 「ごめん、多すぎたかも。」 「や、食えるけど…」 自分の感情を悟られないように曖昧に笑ってみせ、皿を差し出す。 受け取りながら訝しげに見つめてくる三園の瞳には、情けない男の顔が写っているに違いない。 「千田、」 三園が口を開いたそのとき。 ガタン 玄関から響いたその音に、二人の肩が揺れた。

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