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第8話
「なんで、あんな……」
清正はただじっと待っている。涙が落ちなくなるのを確かめて、静かに口を開いた。
「誰が、いつ、盗んだのかわかるのか?」
光は頷いた。
物理的な状況を考えるほうが、品物を思い浮かべるより辛くなかった。
「うちに来た時に、見たんだと思う」
「誰が?」
「淳子 」
短く答えると、清正がビクッと身体を離した。
「淳子? ちょっと待て。淳子って誰だよ。家に来たって、どういうことだ?」
「チーフだよ。俺の元上司」
松井 淳子。突き出した唇でフルネームを教えた。
「元上司? 淳子っていうからには、女だよな?」
「そうだよ」
去年の春まで、光はラ・ヴィアン・ローズを展開する「薔薇企画 」の社員だった。松井は、デザイン部門を取り仕切るチーフデザイナーで、直属の上司だった。
「いくつ?」
「知らない。あ、でも確か七つ上って言ってたかな。三十四歳とか、そのくらい?」
「なんで呼び捨てなんだ」
「さん付けするのが嫌だから」
清正が唸る。
「光の家に来たって……、部屋に入れたのか。……つまり、そういう相手なのか?」
仕事で来たのだが、まあそうだと思って頷いた。独立したばかりの光は事務所を持っていないので、自宅が仕事場を兼ねている。
清正が質問を続ける。
美人なのかと、どうでもいいことを聞くので、面倒くさくなって薔薇企画のホームページをスマホに表示した。
チーフデザイナー「JUNKO」の文字と、自信たっぷりの笑顔で写った顔写真が画面いっぱいに現れる。ちなみに、デザイナー名を「JUNKO」と名乗っているので、社内でも下の名前で呼ぶように、松井自らがまわりに指示していた。
「なんだよ、これ。女優かタレントのプロフ写真みたいだな」
「宣伝用だから」
元ミスなんとからしいし、素材は悪くないのだろう。専門のヘアメイクとカメラマンを使って、ふだんの数倍増しで、写りがいい。ついでに経歴のほうも、ものは言いようだと感心するくらい巧みに盛 ってある。
黙って画面をスクロールしていた清正の手が止まる。
「この男は?」
「ん? どの人?」
端整な面差しの落ち着いた男性が笑顔で写っている。
「社長」
「社長?」
「うん。書いてあるじゃん」
薔薇企画代表取締役社長、堂上由多加 。漢字ばかりが並ぶ鬱陶しさを払拭するため、フォントの色や太さまで考えられた文字が綺麗に並んでいる。
「……こいつはどういう男だ?」
「どういうって……、社長は社長だけど?」
光を眼鏡とマスクの生活に追い込んだ元凶が、何を隠そうこの堂上だ。
一見、ノーブルな紳士にしか見えないが、売れると思えばデザイナーやスタッフのビジュアルや経歴まで利用する、油断できない男である。堂上自身や淳子のプロフィール写真も、その容姿が自社のイメージアップになると踏んだからこそ、大々的にホームページに載せているのだ。
光も過去に二回、女性誌のコラムに顔面アップ付きの記事を掲載された。ネットニュースの取材を受けたこともある。
雑誌のほうの一度目は、入社間もない頃。二度目は昨年末の特集記事だった。
二ページ程度の短い記事に顔写真が五枚。雑誌の販売数が減っていると言われる今でも、見ている者は見ている。街中でじろじろ見られては、何か小声で囁かれることがあり、それがひどく鬱陶しい。
自意識過剰だと笑われようと、嫌なものは嫌だった。
顔を隠したくなるのはそのせいだ。一ヶ月も我慢すれば忘れられると知っている。そうしたら、また元の眼鏡マスクなし生活に戻ればいいだけのことだ。
なぜか清正は、眉を寄せたまま画面を睨んでいる。
「どうかしたのか」
光の問いには答えず、「とりあえず、こっちからか」とよくわからないことを呟いて、再び淳子のことを質問し始めた。
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