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第19話

 電気代が引き落とされないということは、光の通帳に残高がないということだ。放っておくとガスや水道も止まる。  固定電話とネット環境、スマホの引き落としはクレジット払いでまだ生きているが、このままではカードの決済も危うくなる。  週末、聡子のいない上沢の家のリビングで、清正と一緒にノートパソコンを開いていた。  汀は朝からこの家の近くの幼稚園に行っている。体験保育を聡子が申し込んでいたのだ。入園予定がなくても一日遊ばせて構わない。そう言われてお願いしていたらしかった。  汀を送っていった後で、清正は光の通帳残高を確認すると言い出した。 「暗証番号教えろ」 「8948」  一瞬、清正の指が止まる。それからひどくゆっくり、その数字を打ち込んだ。 「汀、大丈夫かな」 「汀は大丈夫だ。それより、おまえが問題だ。残高がほとんどないじゃないか」 「え、マジ?」  画面を覗くと、電気代以外の引き落としは新しい入金のおかげで辛うじてできていた。だが、残高の欄に記された数字には、カンマは一つもない。つまり数百円単位。 「何に使ったんだろう」 「何に、じゃないだろ。ふだんから適当に外食で済ませて、必要なものをほいほい買って、仕事の依頼があってもなくても気にしないでいたら、金はどんどん減るんだよ。いい加減、学習しろよ」  しばらく順調に回っていたので油断していたが、独立して試作品の支払いも自腹になったので出費が激増していたらしい。薔薇企画からの受注がなくなっていたことも大きかった。入金が一気に減り、それと連動して残高がみるみる減っていく様子が、数字を見ると一目瞭然だった。 「どんぶり勘定も、ここまで来ると悲劇だな。帳簿とか、どうしてるんだよ」 「領収証は取ってある……」 「つけてないのか? 独立したのって四月だろ? 去年の十二月までの収支を三月に確定申告するんじゃなかったか。どうするんだよ」 「え。そんなの知らないよ」  知らないでは済まないのだと清正が頭を抱える。  フリーでやる仕事の帳簿など、清正にもわからない。わからないが、かなりまずい状況であることは確かだと言って唸った。 「社長に聞いてみる」  ぼそりと呟くと、清正が顔を上げた。目が怖い。 「あの堂上って男、おまえの何なんだ?」 「何って?」 「元の勤務先の社長にしては、今も会ってるみたいじゃないか。まだつながりがあるのか」 「あるよ。だって……」 「だってなんだよ。どういうつながりだ」  うーん、と考えて「パトロン的な?」と答える。清正の目が殺気立つ。 「パトロン?」 「んー、て言うかね……」  事務所の開設に必要な手続きは、全て堂上がやった。初期の資金繰りも任せた。光の自宅を事務所として登録したのも堂上だ。  独立というのはあくまで名目上のことで、実際のところは、光の事務所も堂上が所有する企業の一つと変わらないのだ。従業員が光しかいないという、ちょっと変わった形態の事務所。他社の仕事を受けた場合の利益など、細かいことがどうなっているのかよくわからない。けれど、堂上のすることなので、薔薇企画にも何かいいことがあるのだろう。  光にとっても、仕事さえ入ってくれば、会社勤めをするより割がいいことは確かなのだ。今度のようなことがなければ、同じ仕事量をこなすだけで、収入は以前の何倍にもなると言われた。  何より自由なのが嬉しい。会議に出なくていいし、残業規制もかからない。それが一番の魅力だった。 「なんていうか、俺は雇われ店長的なものなんじゃないかな。フランチャイズ式の店みたいな感じの……」 「店長なら、売り上げの管理くらいするだろ」 「そうか。そうだな」  だったら、どういう立ち位置になるのだろう。  今のところ、光は受注したデザインを完成させて納品するだけでいいのだ。それ以外のことが光にできるとは、堂上も期待していないのだと思う。 「帳簿とか税金みたいなのは、きっと社長が何か考えて、やってると思う……」  ぼそぼそと告げると、剣呑な表情をしたまま、清正もぼそりと言った。 「あいつ、ゲイだよな」  いつからあいつ呼ばわりになったのだ。ツッコミを入れると、ポイントはそこじゃないだろと逆に頭を叩かれた。 「ゲイなんだろ」 「他人の性癖を軽々しく口にすることは……」 「急にまともなことを言わなくていい」  もう一度頭を叩かれて、本人が比較的オープンにしていることなので言ってもいいだろうと思い、ゲイ寄りのバイだと答えた。  以前口説かれたこともあるが、それは黙っておく。速攻で断ったし、堂上は笑って引き下がったし、仕事の上で後を引くことも一切なかったのだから、何もなかったのと同じだ。  わざわざ言うほどのことではない。 「……やっぱり、おまえ、しばらくうちにいろ。仕事が少なかったなら、当分入金も当てにできないだろうし、この残高じゃろくに食えないじゃないか」 「なんとかなると……」 「ならない」  会社勤めをしていた時にも、三回ほど同じ失敗をしている。食事や服に贅沢はしないけれど、気に入った素材を見つけると値段を見ずに買い込むことがある。それが同じ月に何度か続いても、自分で気付かない。電気やガスが止まって初めて、金がないことを知るのだった。  定期的な収入があったサラリーマン時代でもそうだったのだ。今の状況で、この残高は相当な緊急事態だと清正は言う。 「マジで孤独死あるから」 「う、うん……」  しゅんとうなだれてしまった。  思っていた以上に自分がダメ人間だったことを急に自覚する。 「せめて仕事が安定して収支が落ち着くまで、俺に甘えろ」 「うん。ごめん、清正……」

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