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第20話

 理由がほしいとか、期間を決めてとか、悩んでいたことさえ恥ずかしくなる。  結局、光は清正がいなくてはまともに生活できないのだ。急に一緒に住みたがっている理由はよくわからないけれど、頼れる相手は清正しかいなかった。  遠くにいる親や、結婚している姉よりも、清正に甘えるほうがはるかに現実的なのだ。 「俺って、清正に依存してるよな……」  しゅんとして呟くと、「今さらだろう」と笑われた。 「その代わりと言ったらアレだけど、しばらく汀の迎えを頼めると助かる」 「うん。それなら、喜んでする」  仕事を与えられて少しほっとする。  ふと、いっそこの家にいたらどうだろうと思い付いた。聡子は、一、二週間は戻らないと言っていた。その間、家と庭の管理をしながら、ここにいればいいのではないか。 「清正。どうせなら、ここで留守番するのってどう?」 「うちで?」 「うん。俺、庭の水やり引き受けたんだ」  それに、と正直な言葉が出てくる。 「ずっといるんだと、清正のマンションちょっと狭いし。ほかにも持ってきたい画材や道具があるんだ。ここの和室を作業場に使わせてもらえたら、そこで仕事できるし……」  首を傾げた清正に「汀の送り迎えは俺がやるから」と付け加えた。考えれば考えるほど、それはいい方法のように思えてくる。 「じゃあ、しばらくそうするか」  清正が頷き、光の顔がぱっと輝く。それを見て清正も笑った。 「俺としては、とにかく光を一人で置いとくのが嫌なだけだ。光がそれでいいならそうしよう」  そうと決まれば、早速荷物を運ぼうと言い出す。やけに張り切っているなと思ったが、善は急げだと言われて頷いた。  時間を確認して、汀を迎えに行くために二人で家を出た。  体験保育をしている上沢幼稚園は、清正の実家から歩いて五分ほどのところにあった。駅と同じ方向にあるので、何度か前を通ったことがある。  広い園庭にゆったりと遊具が設置され、のびのびとした雰囲気の中、小さな子どもたちが思い思いに遊んでいるのを見かけた。新しくはないけれど、手入れの行き届いた平屋建ての建物が広い庭の北側に建っている。アニメの絵柄などを使わずに、明るい塗装で仕上げた品のいいデザインを光は気に入っていた。藤棚の下には大きな砂場もある。  清正と二人で迎えに行くと、汀は園庭でボールを手にして何かをじっと見ていた。  視線の先を追うと、母親に手を引かれて帰る子どもたちの姿がある。じっと立ったまま動かない小さな背中を見ているうちに、光は少し切なくなった。  汀は、まだ三歳だ。母親が恋しいのだろうと思った。 「お迎えですか」  職員に声をかけられて、清正が汀を指差す。たまご色のエプロンをした「せんせい」が汀の肩を叩いた。振り向いた汀が嬉しそうに走ってくる。 「パパ!」  ボールを手放して、清正の腕の中に飛び込んだ。 「楽しかったか?」 「おしゅなでいっぱいあしょんだ」 「そうか。よかったな」  軽く会釈して立ち去ろうとすると、最初の職員が挨拶のついでに報告してくれた。 「汀くん、とってもいい子でしたよ」 「そうですか。ありがとうございました」  それから彼女は光の顔を見て、にこにこと言った。 「美人さんなのはママ似なんですね。本当にそっくり」  首を傾げた光の横で、清正の肩が震え始める。  揃って頭を下げて、その場を立ち去った。閑静な住宅街を進み、最初の角を曲がったところで清正が笑い出す。 「ママ……」 「ママって……、俺のことか」 「だろうな。まあ、髪がだいぶ伸びてきたし、見えなくないかもな」  すっかり伸びた光の髪を梳いて、清正が笑い続ける。ずいぶんと上機嫌な顔を見て、他人事(ひとごと)だと思って、とため息を吐いた。 「みぎわのママ、ひかゆちゃん?」  にこにこと汀が笑う。そうそう、と清正も笑う。 「ママかあ……」  光は空を見上げた。視線を戻すと、ひどく優しい目をした清正がいて、心臓がトクンと鳴った。 「汀、しばらくサトちゃんちで光と一緒に住むか? 汀と光とパパの三人で」 「うん! しゅむ!」  左右の手をそれぞれ光と清正とつないだまま、汀が嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。 「ひかゆちゃんと、おしゅなしゅる!」  きゃっきゃっとはしゃぐ嬉しそうな顔を見ると、光の頬にも笑みが浮かぶ。汀と清正が喜ぶなら、ママでも何でもいいかという気持ちになった。  その日のうちに当面必要な荷物を運んで、臨時の三人暮らしは始まった。  もともと清正の部屋だったところにはベッドと机が残っていて、そのままそこが汀と清正の寝室になった。  隣の部屋は清正の姉が使っていた部屋で、今は客間になっている。光が寝るのはその部屋だ。家具はなく、空のクロゼットに来客用の布団が二組、用意してあった。  仕事場として一階の和室を借り、画材とパソコンとプリンターをつないで、大きな座卓をそのまま作業机にする。  生活の役割分担は初めから決まっているようなものだ。食事は清正。掃除や洗濯は光。今回は庭の世話と汀の送り迎えも光が引き受ける。  懐かしい清正の実家での暮らしに、汀に負けないくらい光の心は浮き立っていた。  聡子が帰るまで、そして光の生活基盤が持ち直すまで、わかりやすい期限があることも光を安心させた。  留守番がてら実家で暮らすことを清正が告げると、いっそそのまま三人で暮らせばいいと、スマホの画面越しに聡子は言った。 『どっちかがお嫁さん貰うまで、一緒に住めばいいじゃない』  そうすれば、自分は安心して田舎に引っ越み、親のそばで広い土地に庭を作って暮らすと言う。久しぶりに故郷に帰って、思った以上に気持ちがゆったりしたのだと言った。 『こっちで暮らしたいわ』 「簡単に決めるなぁ」 『何にしても、家のことを心配しなくていいなら、しばらくこっちでゆっくりさせてもらうわね』  光くん、清正と汀をよろしくね、と言って聡子は通話を切った。 「あれは、本気で山形に戻る気かな」  清正の言葉に、その先のことは考えないようにして、光は慎重に頷いた。

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