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第27話

「だって……」  あの照明器具は、あんなふうに作りたかったのではないからだ。  あんなものになるはずではなかった。松井が変えてしまった部分を思い出すたびに、心が張り裂けそうになる。  もう元には戻せない。  商品になって流通してしまったら、それを持ち帰った家の一部になってしまったら、光にできることは何もない。それが悔しいのだ。  重いガラスで作られたシャープなエッジのライトを頭に浮かべ、苦しくて息ができなくなる。 「あのライトが汀の近くにあったら、俺は安心できない。重いし硬いし、コーナーが尖ってる。ガラスは割れると危ないし」  自分はあのライトをアクリルと和紙で作るつもりだったのだ。そう続けた。  四角い角の部分は尖らせないように、シャープさと安全な角度のバランスを、村山と試行錯誤して決めてゆくはずだった。  暮らしの中で使われる商品を作るのが、光の仕事だ。美しければそれでいいというものではない。  道具として理にかなっていること、生活の中で安全に快適に使えること、清潔さを保てること、それらを吟味し、納得がいくまで細かく考える。 「なのに、あいつはガラスで作った。ガラスが悪いわけじゃない。だけど、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』に来るお客さんには、小さい子どもがいる家の主婦も多いんだ。コーナーのカットくらい、気を配れば変えられたのに、それもしなかった。デザインを一切変えるなって言ってるんじゃない。変えたほうがよくなるなら、いくらでも変える。だけど、知らないうちに変えられてめちゃくちゃにされるのだけは、絶対に嫌だ」  許せない。死んでも、絶対に許せない。  光が何を大事にしたのかも理解せずに、松井はデザインを改竄(かいざん)した。それは光の魂を殺すのと同じことだ。それが苦しいのだと言って、唇を噛む。 「雑貨のデザインなんか、みんなそこまで気にしない。ほかの人から見たらどうでもいいことだってわかってる。だけど、俺は苦しいし、辛いし、改竄した奴が殺したいほど憎い」 「じゃあ、おまえが殺したいって言ったのは……」 「淳子がデザインを殺したからだ」  じわっと涙を滲ませて顔を歪める。  清正がテーブルを回って来て、背中を撫でた。昔からずっと変わらない清正の大きな手が、光を軽く抱き寄せる。  そして、どこか安心したように口の中で呟いた。 「そういうことだったのか……」 「清正はどうなんだよ。淳子と付き合ってるって会社で噂になってたし、昨日だって見たぞ。今日だって……」 「気になるのか? あの女のことはどうでもいいんじゃなかったのか?」 「清正が……」 「俺が?」  何かを期待するように見つめられて、顔を背ける。背中を撫でる手が、優しさよりもどこか艶めいた動きに変わった気がして、慌てて身体を離した。 「清正は何をしてたんだよ。あいつに会って……」 「探りを入れてたんだよ。約束して会ったのは、昨日の昼休みを入れても二回だけだ。何か証拠が掴めそうなら、おまえのところの社長に突き出してやろうかと思って」  何かを上手に言えないまま「殺す」と言って泣いている光を見ると、昔からどうにも黙っていられない。余計なお世話だと承知した上で、勝手にしたことだと言って「悪かった」と謝った。 「いいよ。そんなのずっと前からしてくれてたことだし……」  赤くなった鼻に清正がティッシュを当ててくれる。頭を押さえられたので、そのままチンと鼻をかんだ。扱いが汀と一緒だ。 「それに、なんだか腹が立ってさ」  丸めたティッシュをダストボックスに放りながら清正が言う。 「ずっと、光はものを作ってれば幸せなんだと思ってた。忘れてたんだよ。おまえだって俺と同じ二十七の男だってこと……」  何を言っているのだと首を傾げると、再び緩く身体を包まれた。 「恋くらいするよなって思ったら、なんだか無性に腹が立った」 「なんだよそれ」 「しかも、年上の女や遊び慣れた男にいいようにされてるのかとか思ったら、すげえ心配になって」 「おまえは俺の保護者かよ」  ゆったりと光を包み込んだまま、清正が「ははは」と笑う。ある意味、正解だと言って。 「誰にも触らせたくないし、汚したくないと思ってた。ずっと、綺麗で純粋なままの光を守りたかったのかもな」  軽く押し返すと、すぐに腕を解いた。いつもの清正だった。 「それだけじゃないから、困ったんだけどな……」  髪を撫で、頬に触れる。 「今日、なんで淳子の匂いしてるんだよ」 「あいつのことはどうでもいいんだろ? だったら、何が気になってる? 誰にやきもち焼いてるんだ?」  視線を泳がせながら、「いいから言えよ」と胸を叩いた。 「なんで、匂いするんだよ」 「帰りの電車で偶然会ったんだよ。ずっと近くに立たれたから匂いが付いたんだろ」 「……そ、そうなんだ」 「光、おまえの口座の暗証番号」  唐突に何を、と思った直後、心臓が跳ねる。  顔を上げると、奇妙な笑みを浮かべて清正が見下ろしている。 「8948って、一九八九年四月八日?」 「違……っ、だ、だって、自分のは、つ、使えないから……」 「うん。自分の誕生日は使えない。だから、俺のにした?」  言葉に詰まって顔を背けようとするが、清正の手のひらに阻まれた。「バカだな」と言われてむっとして視線を戻す。  ふっと笑った清正が吐息のように囁いた。  ――もうダメだ、おまえのせいだ。  囁きとともに唇が触れた。  驚いて目を閉じることもできないでいると、一度離れた唇にもう一度、「おまえのせいだぞ」と囁かれて軽く啄まれる。 「な……」 「目くらい閉じろよ」  言われてようやく、真っ赤になって左右に首を振った。可愛すぎだろ、と笑われて、広い胸に抱き締められる。 「もうダメだ。一度触ったら我慢できなくなる。これからどうなっても全部光のせいだからな」 「な、何言って……」 「黙れ」  もう一度、今度は強く唇を塞がれる。心臓がバクバクと最高速で血液を押し出した。  んー、と呻きながらもがくと舌の先が押し当てられた。 「口、開けろ」 「ヤダ。なんで……」 「なんでって、おまえキスしたことないのか?」 「ないっ!」  ついきっぱりと言い切って、はっとした。清正の顔を見ると、蜂蜜でも舐めたような甘い笑みを浮かべている。 「マジか……。俺、今日から神様を信じる」 「バ、バ、バかッ。もう離せ!」  ドキドキしながら清正の胸を叩いた。  耳の先が痛いくらい熱くて、真っ赤になっているのがわかる。「すげえ可愛い」と囁きながら、清正が包み込むように背中を抱きしめ髪を撫でる。  心臓がろっ骨を叩くように大きく鳴っている。「マジで離して」と胸を押し返すが、喉の奥で笑うだけで、清正はいつまでも背中に手を回したままだった。 「ああ、どうしよう……、俺」 「どうもしないでいい、離せ」  また清正が笑う。  両手で頭を包むように固定され、大きな手の中で清正と目を合わせる。唇をぎゅっと噛んだ。顔が火照り過ぎて、涙が出そう。 「光……」  ひどく甘い声で清正が名前を呼んだ。 「大事にするから、ずっとそばにいろ」  どこにも行くなと繰り返して、ようやく清正は拘束を解いた。

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