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第31話
一度上沢の家に戻ってから、郊外にあるショッピングモールまで足を延ばした。
大きめの手芸専門店に寄り、汀のリュックに使う生地を選ぶ。明るいブルーのキルティングと縁を飾る柄付きの綿ブロードを買った。
『ラ・ヴィ・アン・ローズ』の店舗を覗くと、あの照明器具はすでに撤去されていた。おそらく堂上が指示したのだろう。松井やバイヤーやショップ担当者に、どう説明したのかはわからない。堂上のすることなので心配はしなかった。
メインの売り場には桜をイメージした小物類が置かれていた。一見華やかだが、どれもありきたりなデザインだと思った。同じようなものがどこにでもある。無料だったり安価だったり、金を使わずに手に入るものが、今の世の中にはいくらでも溢れている。
職人やデザイナーや店舗スタッフの給料など、必要なコストを乗せて、なおかつ利益の出る価格でものを売ることは、口で言うほど簡単なことではない。それだけの対価を払っても満足できるもの、そばに置きたいと思うもの、品質やデザインに信用が置けるものでなければ、高い金は払わない。作り手も売り手も、それを十分に知っていなければならない。プロならば。
だから、光はデザインに知恵を絞る。どうしたら人の心に届くのか考える。
帰宅してから、いくつかスケッチを描いた。店舗で見た商品が頭にちらつき、あれではダメだという焦りが鉛筆を持つ手をもどかしくさせた。追い立てられるように、何枚もデザインを描いてゆく。
安易な方向に逃げてはいけない。楽をすることを恐れなければいけない。
本当に掴みたいものを掴むまで、一切の妥協を捨てるのだ……。
小さな汀が、湿った砂を求めて深く深く穴を掘るように。求めるものに辿り着くまで手を動かし続ける。
気がつくと外は暗くなっていた。
慌てて時間を確認すると、それを待っていたように清正が声をかけた。
「飯だぞ」
「清正、いつ帰ってきたの?」
「三十分くらい前」
「全然、気付かなかった。言ってくれればいいのに……」
「呼んだけど、おまえ返事しないし」
そうだったのか。ごめん、と呟いてテーブルに向かった。
人参や筍の色合いが綺麗な煮物、ほうれん草の胡麻和え、アジの開きと豆腐とワカメの味噌汁が、ランチマットの上に正しく並んでいる。
清正は本当になんでもできる男だ。
出汁の効いた煮物は「料亭かよ」と呟くほど美味しかった。なのに、汀はあまり好きではないようだ。清正がほぐしたアジと、麦と雑穀を混ぜたごはんばかり口に運ぶ。
「汀、人参も食べてみな」
光が促すと「いっこだけ?」と清正に聞く。
「ああ」
一つ食べればいい。残してもいいから、味だけ覚えておけと清正は言う。二人のやり取りを聞いて、光は不思議に思った。
「残させるの?」
ふだんから、しつけもきっちりしている清正にしては、意外な気がする。
「残さないで食えれば、そのほうがいいけどな。このくらいの子どもは、本能でカロリーが高いものを旨いと感じるから、野菜は苦手で当たり前なんだよ。無理に食べさせて嫌いになるより、味だけ覚えておけばいいと思ってる。そうすれば、大人になって身体が要求した時に、あれが食べたいなと思い出せる」
味を知らないものは、どんなに頑張っても選択肢として思いつかない。ハンバーガーしか口にしないで大きくなれば、年を取って身体に合わなくなっても、食べたいものといえばハンバーガーしか思い浮かべなくなると言った。
「だから、口に入れるのは一つずつでも、十分意味があるんだよ」
「へえ……」
そんなことまで考えて食事を作っているのかと、少し驚く。
強制されないせいか、少量の野菜を汀は残さず食べていた。空になった小鉢を見せて誇らしげに胸を張る。
「みて」
「いい子だ」
清正が汀の頭を撫でた。
「それにしても、清正って本当に料理うまいよな」
「そうか?」
「うん。煮物も味噌汁も胡麻和えも、全部すごく美味しい」
「それはよかった。胃袋を掴むと最強らしいからな」
ふわりと微笑まれて、少しドキッとした。
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