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第42話
「人の作ったものを壊して平気でいられる。そんなあんたに、モノが作れるわけないんだよ」
「な……何よ、急に」
松井を睨みつけたまま、短く吐き捨てた。
「死ね。クソババア」
「ひ、ひかゆちゃん……」
言葉の汚さに、汀が怯えたように光のセーターを掴んだ。「ごめんな」と、松井にではなく汀に謝って、その手を握った。
驚いて泣き止んだ汀を見下ろし、またひどい言葉を聞かせてしまったなと思って、心が痛む。
「相変わらずわけのわかんないことばかり言って……。七原さんがいないなら、私、帰るわ」
踵を返して門のあるアプローチに出ていこうとする松井に、「待てよ」と怒鳴る。まだ、汀に謝っていない。謝れと、松井に言うつもりだった。
光を無視して生垣の向こう側へ回ろうとした松井の前に、清正が姿を現した。
「何か?」
「あ。七原さん……」
買い物袋を抱えた清正が、門側のアプローチから庭に足を踏み入れる。
「あの、私はただ……、近くまで来たから食事でもどうかと思って……」
「食事ならお断りしたはずですよね。それに、あなたの家は薔薇企画の近くだと、先日おたくの社長から聞きました。だったら、なぜこんなところに? どうして何度も帰りの電車で会うんですか?」
「それは……」
「あまり度を超すようなら、警察に相談します。うちには小さい子どももいますから」
警察という言葉を聞いて、松井は動揺を見せた。
「待って……。私、別に……」
松井の背後に視線を向け、汀の顔を見ると清正の表情が険しくなった。
「汀に何かしたのか」
「私は、何も……」
「言えよ! 何をしたんだ!」
怒気の強さに、松井が一歩下がった。
崩れた砂、ベンチの上に不自然に置かれているスケッチブック、それらを清正が一瞥した。眉間の皺が深くなる。
「光、この女、ここで何をしてた」
「汀のケーキを……」
汀がようやく完成させた三段タワーの砂のケーキを、光が見る前に壊したのだと、何度か言い直しながら説明した。
思い出したように、再び汀が泣き始める。
その気持ちには光も覚えがあった。思い出せば、いつまででも辛い。忘れていたいのに、きっと一生忘れられない。心の傷は何度でも、いつまででも開くのだ。
抱き上げて、震える背中を黙って撫でた。
清正の声は氷のようだった。
「どうして壊す必要があった。そんな場所に立って、何をしてた」
松尾の身体がギクリと強張る。
買い物袋を煉瓦の台に置き、清正が光に言った。
「堂上に連絡を取れ」
「社長に? なんで?」
「いいから。すぐに連絡しろ」
突然、松井が清正を押しのけてアプローチに出ようとする。清正は、その腕をすばやく掴んだ。逃亡者を阻止するかのように、鬼のような形相で睨みつけ「動くな」と一喝する。
松井は観念したようにうなだれた。化粧の上からでもわかるほど、顔が青ざめている。
仕事用の番号に何度かかけたが、堂上は捕まらなかった。ずっと以前に知らされていた個人用の番号にかけると、こちらはすぐに応答があった。
『光からこの番号に掛けてくるなんて、初めてだね。何かあった?』
清正に言われてかけたのだと言うと、代わるように言われた。清正と堂上がつながっていることに軽く驚きながら、スマホを手渡す。
二言三言のやり取りだけで、スマホが返される。
「今、出先だから、近くにいる部下を寄越すってさ。井出って奴は信用できるか」
「大丈夫だと思う」
信用できるというのが、どういう状態を指すのかわからないが、少なくとも堂上が指示したのだから間違いはないだろう。光自身も、井出には好感を持っている。
「ち、ちょっと……。いったい、何をする気? 離してよ……」
「堂上と話すのが嫌だというなら、不法侵入で訴えてもいいんだそ。所持品は警察で検査してくれるはずだ」
松井が黙る。
「また、盗んだのか……」
まさか、本当に盗みにくるとは思わなかった。
汀の背中をを撫でながら、光は心を凍り付かせた。
最初から盗もうと計画していたのか、たまたま清正に付きまとっていて、ここで光が作業していることを知ったのかはわからない。スケッチブックが放置された場所に居合わせたのは、偶然だったのかもしれない。
けれど、そのチャンスに松井は躊躇わず飛びついた。
慣れているのか? 人のデザインを盗むことに……。
「……あんたは、何がしたいわけ?」
松井はカッと振り向き、憎しみを込めた目で光を睨んだ。
「此花みたいな奴に何がわかるのよ」
「俺みたいな奴? どういう意味だよ」
松井は肩で息をし始めた。ふうふうと、何度も息を吐き出す。
「あんたは、息をするみたいにデザインを生み出す……。その上、簡単に人の評価を得る。天才なんでしょうね。でもね、でも、私だって……」
薔薇企画のチーフデザイナーとして、何年もブランドを支えてきた。主力商品も担当してきし、広報的な対応にも力を注いできた。
「評価もされてきたのよ! みんなに注目されて……」
「元ミスなんとかだし?」
「そ、そうよ。仕事の上でも……」
バカかこいつ。口の中で呻いた。
「顔や名前でものを作るわけじゃないのに、デザインが出来ないデザイナーが、何をほざいてんだよ」
「デザインならしてるわよ! わたしのデザインは、繊細で美しいって言われてて、いつもお客さまからお褒めいただいて……」
「素人に褒められて喜んでるうちは、素人だろ」
「な、なんですって?」
「あんたのデザインは、いちいち押しつけがましいんだよ。おしゃれでしょ? ステキでしょ? こんなに素晴らしいデザインを生み出す私ってすごいしょ? そういう嫌らしさがべったり貼り付いてる」
いちいち「私」が顔を出す。松井自身が前に出て、認めろと言っているようなデザイン。
「うっとおしいんだよ」
光は吐き捨てる。
買い手にとって、本当は誰が作ったかなどどうでもいいのだ。
何代目誰それと名の付く職人や芸術家、ハイブランドのデザイナーならいざ知らず、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』の商品を誰がデザインしているかなど、一般の人間は誰も気に留めやしない。
たまたま女性誌に取り上げられて、それを読んだ中の一握りのマニアに顔を覚えられたとしても、そんなことすら、ひと月も経つ頃には忘れられる。
松井が自分で思うほど、世の中の人間はデザイナーの存在を気にかけていないし、はっきり言って、最初からどうでもいいことだ。
「あんたって、何のためにものを作ってんの? 作るのが好きで、いいものを作って、人に喜んでもらうためじゃななかったの? いつから人のデザインを盗んでまで『自分が』褒められたい、目立ちたいって思うようになったんだよ」
「なんですって。私は……」
「だから! 私、私、私……私って、いい加減、うざいって言ってんだよ!」
何かを作るのが好きだという純粋な気持ちは、もう松井にはないのだろう。ただ自分という人間をまわりに認めさせ、人からちやほやされていい気分になりたいだけなのだ。
人に褒めさせ、マウントを取り、承認欲求を満たす。「プロのデザイナー」という肩書に羨望の目を向けられ、それに満足して、酔いしれていたいだけ。
十五分ほどで井出が到着すると、清正はすぐに松井のスマホを彼に預けた。
「堂上に渡すまで、絶対にこの女に触らせるなよ」
「オッケー」
ガッツポーズを取った井出が、清正を見上げて「あれ?」と目を瞬く。
「きみって、確か淳子さんの元彼さんだよね?」
「違う」
「え? あれえ? 違うの?」
こんな長身の男前、そんなにいるわけないんだけどなぁと首を傾げ、何度か松井と清正を見比べてから、「まあいいや」と、井出は肩を竦めた。
「スマホのことは社長からも言われたし、任せて」
「絶対に、こいつに渡さないでください。何があっても」
清正の真剣な要望に、「ダイジョブ、ダイジョブ。心配しないでねー」と軽く請け合って、門の外に待たせたタクシーの助手席に乗り込む。
後部座席に松井が押し込まれると、光に向かってにこにこ笑ってみせた。
「社長から特別手当て弾むって言われちゃったし、僕、頑張るからさ」
嬉々とした井出と、憔悴しきった松井を乗せて、白い車体のタクシーは静かに上沢の家を去っていった。
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