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第45話

 通常の依頼仕事で村山アクリルに打ち合わせに行くと、コンペのために頼んでいた人工コランダムの見本品を見せられた。想像以上に本物のサファイアに近い。光にかざしてみると透明度も屈折率も申し分なかった。 「大きさとか形もある程度自由が利くらしい」 「すごいね。期待以上」  工業製品としての取り扱いになるらしく、価格もかなり良心的だった。 「色味も幅が出せるってさ。もう少し濃くしたかったり薄くしたかったり、希望があれば言ってくれだって」 「これくらいの濃さでちょうどいいと思う」 「じゃあ、こっちの準備はだいたい完了だな。あとは銀細工を届けてもらえれば試作品のほうは始められる」  来週末か再来週の頭には届けると約束した。  仕事の試作品を受け取り、その足で薔薇企画に向かった。打ち合わせに出てきた井出は浮かない顔をしてため息を吐いた。 「チーフ、辞めるんだって」 「へえ……」  松井が辞めることがそんなにショックなのだろうか。井出がそこまで松井を慕っていたとは、思ってもみなかった。 「よそからの引き抜きだって、本人は言って回ってるけど、どこからってことは言わないんだよね」  松井を堂上の元まで送り届けたのは井出だ。どこまで事情を把握しているのか知らないが、松井の立場が悪くなったことは察しているのだろう。少なくとも、会社に残ることが難しくなり、退職を余儀なくされたのだと思っているようだった。 「今度の勤務先、あんまり気に入ってないんだと思うな。プライド高いから、ウチよりいいとこじゃなきゃ名前なんか出したくないだろうけど、そもそもウチよりいいとこなんか、そんなにないもんね」  能力があって退職するなら、独立して事務所を持つ方法もある。プライドだけで独立し、仕事がなくて再就職する者もいるが、その場合に勤められるのはごく小さな事務所だ。それでもデザイナーとして働ければいいほうだろう。 「だいたい引き抜きっていうのも怪しいしさ」  自分から売り込んだのではないかと、井出は言う。 「きっと急いでたんだよ。今ならまだ履歴書にウチのホームページのアドレスが書けるし、なんならまるごと、あのご立派なプロフィールを印刷して送ったっていいわけだし。クビになってからじゃ、新しい仕事を探すのが大変になるから」 「クビ?」  そこまで重い処分になるだろうか。一度目の時には証拠がなく、二度目の盗作は未遂と判断することもできる。  だが、井出は思いがけないことを言い出した。 「いいデザイナーさんを淳子さんが切るって話、しなかったっけ? あれ、どうもかなりグレーな裏側があったっぽいんだよね」 「グレーな裏側?」 「淳子さんが、盗作してたって噂があるんだよ」 「え……」  以前から、自分のところで作っているものと似た商品が『ラ・ヴィ・アン・ローズ』で売られているという苦情があった。地方の小さな窯元であったり、ステンドグラス作家であったり、訴えてくる人はさまざまだった。けれど、その内容は、言われてみればよく似ているという曖昧なもので、大きな問題に発展するまでには至らなかったのだという。 「デザインのオリジナル性を証明するのって、難しいからね」  ただ、それらの商品を担当したデザイナーは、いつも同じ人間だった。松井である。  初めのうちは器用にアイディアだけを盗んでいたらしい。  窯元のオリジナル商品であるコーヒーカップとよく似た形状と質感のカップ、ステンドグラス作家の作品と同じモチーフのガラス製品、皮革工房の製品と同じパターンのパッチワーク柄小物入れなど、一部を盗み、知識や技術と組み合わせてオリジナルよりやや垢抜けたものに作り変える。それを自分の作品として発表する。  苦情があった時も、松井のデザインのほうが完成度が高いことから、盗用と判断するのは難しいと考えられた。  それでも、苦情が重なればやり方を変えざるを得ない。次に利用したのが、若手の外注デザイナーで、彼らの作品の中から使えそうなものを盗んで改変した。当然、苦情が来る。そこで松井は、そのままでは使えないデザインを、自分が手を加えることによって製品化できるレベルに作り替えた。だからこれは自分の作品なのだと言ったらしい。  デザイナーたちは怒ったが、下請けという立場から何も言えない者もいた。黙って諦める覇気のない者が残り、怒りを口にした者は切られた。それが真相らしかった。 「ひどいな」  人の作ったものを何だと思っているのだろう。さんざん光に同じ言葉を履いてきたくせに。  変えたほうがよくなると思うなら、ハッキリ言えばいいではないか。どこをどう変えろと言えばいい。あるいはダメを出して、作り手に考えさせればいい。  自分では何も生み出さず、人のアイディアを盗んで改変する。それはものを作ることとは根本的に違う行為だ。センスは自分のほうが上だとでも思って、表面だけ変えて何かやった気になっているのだろうか。  自分より下手な人間が作ったものを見た時、どこがダメかはっきりわかる。その感覚は光も知っている。どんな分野でも、レベルが上がれば下にいる者のことは良く見えるのだ。スポーツでも芸術分野でも、日常生活の仕方やゲームでさえ、そうだろう。光よりきちんと暮らせる人たちには、光がなぜ電気やガスを止められてしまうのか、はっきりとわかるはずだ。  しかし、だからと言って、魂を削るようにして生み出した創作物を、勝手に作り変えることは許されない。しかも、松井はそれを指摘した者たちから仕事を奪ったのだ。 「社長のほうでも、いろいろ調べてたみたいでさ。盗作が明るみに出れば会社もただじゃすまないから……。でも、ほとんどのものはアレンジしてあって、訴えられても負ける可能性があるのは、ごく一部なんだって。今は、その処理に動いてるところみたい」 「全部アウトだろ」 「それがそうでもないんだって。訴訟なんかになると、ビミョーなことも多いみたいで……。似ているデザインなんていくらでもあるからね」  誤魔化して逃げ切ることもできるのだという。嫌な話だ。 「いろいろ聞かれて、今回はさすがの淳子さんも開き直って全部白状したみたいだけど、それでも、盗作の理由はさっき言ったみたいなことで、自分のしたことは間違ってないって思ってるみたい」 「理解できないな」  面倒な時代になったよねと井出はまたため息を吐いた。日ごろの軽さがすっかり影をひそめていて、どうも調子が狂う。 「えーと、そしたら新しいチーフって誰がなるの?」 「だから、そこなんだよ。新チーフ、俺なんだよー。今、サブだもん」 「へえ……。それはおめでとうございます」 「おめでたくなんかないよ。此花くん。それ嫌味で言ってるよね」  そんなつもりはなかったが、どうも井出の憂鬱は昇進したことを原因にしているらしかった。 「出世なんかしなくていいんだよ。面倒なことをしないで済むほうが、よほどよほどありがたいんだから」 「ああ。それは……わかる」  ようやく納得した。松井が辞めたことで、井出が落ち込む原因はそんなところにあったのだ。  席を立ったところで、知らない新人デザイナーから、奥の社長室に寄るように言われた。  ガラスで仕切られた社長室には、堂上しかいなかった。部屋に入ると応接用のソファに座るよう促された。改まった話なのだろう。 「光の友だち、七原清正くんにお礼を言っておいてくれるかな」  そう切り出した堂上が、清正が押さえた松井のスマホから、盗作の証拠がいくつか見つかったことを教えた。本人立ち合いの元でカメラの中身を開示させたらしい。  光のスケッチブックも撮影されていた。時期も光が言っていた頃と一致し、問い詰めると松井が全てを白状したのだという。そこから先は、井出から聞いた話とほぼ同様だった。 「それで、一応確認なんだけど、光は会社を訴えたりしない?」 「なんで俺が訴えるんだよ」 「あの照明器具だけは、明らかにデザインの盗用だ。見間違いようがないし、ほかに似たものもない。すでに一部店舗で販売もした。光に訴えられたら、うちは勝てない」  堂上は珍しく真面目な顔で言う。「どんな手を使っても言い逃れはできない」と、やけに弱気だ。 「訴えないよ。……俺の話を信じて、すぐに商品も撤去してくれただろ」  訴えても何も戻らない。せめて、多くの品物が世の中に出回らなかったことに感謝した。  堂上は息を吐き、それから深く頭を下げて言った。 「とてもいいデザインだったのに、本当にすまなかった」  光は黙って、ガラスの仕切りから広いワンフロアのオフィスを見た。そこには、たくさんのスタッフが忙しく働いていた。 「コンペの準備は順調?」 「まあな」 「楽しみにしてるよ」  軽く頷いて、光はソファから立ち上がった。堂上がドアまで送る。 「光にとっての『恋』がどんなものか見せてほしい。ずっと大切に隠していた、一番綺麗なものを僕たちに見せて」  堂上の顔を見上げ、この男はいったいどこまで先のことを見越して、ものごとを運んでいるのだろうと思った。  今回のテーマで、光が古い扉の鍵を開けることを初めから知っていたかのように。  清正を動かし、扉の鍵を開けさせたのも堂上だったのだろうか……。その奥に隠した秘密を見抜き、それを己の望む形にさせるために。  光の中の一番綺麗なものを形にして、差し出させるために。

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