49 / 63

第49話

 今月三度目の朱里との面会で出かけた汀を、夕方になって、清正が迎えに行った。  この日も駅のコーヒーショップで朱里と話をしてきたようだ。帰宅するとショップの焼き菓子を光に手渡し、なんでもない声で「お土産」と言った。  汀は嬉しそうに、朱里と出かけたミニ動物園の話をし、帰りに清正と朱里と、三人で入った店の話をした。ミルクにくまの絵が浮かぶココアを飲んだ。身振り手振りで、そう教えてくれた。  空色のリュックを背負ったままで。  きゃっきゃと笑う汀の背中で、それが小さく揺れていた。 「よかったな」  光は汀の背中から青いリュックを降ろした。  清正と朱里が一緒にいれば、汀には何より嬉しいことに違いない。そう思うのに、どこかで胸のつかえを感じて、自分の身勝手さをひそかに恥じた。   翌日はよく晴れた日曜日で、午前中は汀を公園に連れてゆき、午後は庭で過ごした。砂遊びへの興味はもう失ったのかと思ったが、何日か経つと、汀はごく自然に庭の砂場に座って穴を掘っていた。  小さな手を動かし、山を作ったり、型抜きを組み合わせて城らしきものを作ったり、時々砂から離れて、横の土を丸めて泥団子を作ったりしていた。  自分の手はどんなものでも作り出せる。その喜びを汀は忘れていなかった。  暦が「雨水」という節季に変わると、その名の通り、凍っていた庭に水の光がきらきらし始める。パンジーやビオラやノースポールの株が大きくなり、眠りから覚めた水仙やクロッカスが、順番を競うように次々花を咲かせた。  春が庭に染みわたってゆく。  夜、銀細工の最後の調整をした。薔薇の細工をあちこちから眺め、「これでよし」という到達点に辿り着く。  光は満足していた。  零れるように咲き乱れる薔薇の花。ずっしりと重いほどの存在感があり、同時に羽根のような軽やかさで咲く花の美しさが銀細工に宿っていた。  運搬用の桐箱に丁寧にそれを詰めながら、憑き物めいた何かが身体からすっと抜け落ちてゆくのを感じる。「できた」という満足感と「間に合った」という安堵が、風通しの良くなった心に満ちた。  翌朝、汀を起こす前、日課になったキスをしながら、耳元で清正が囁いた。 「この前からやたら一生懸命作ってたやつ、終わったみたいだな」 「え……?」 「銀色の、えらい細かい花を山ほど作ってただろ」 「うん」  できたよ、と笑うと、もう一度小さいキスを唇に落として、「おつかれさん」と髪を撫でる。  仕事の制作物とコンペ作品は並行して作業をしていた。よく銀細工に気付いていたなと思う。 「おまえのまわり、ずっと、鬼気迫るオーラが漂ってたんだよな。それが今朝はスッキリしてる」  そんなに切羽詰まった印象を与えていたのか。光は乾いた笑いで応えた。  清正の腕が光の身体を包むように抱く。ゆっくり背中を撫でられて、身体の芯が疼く。 「俺も先週で一つ仕事が片付いた。今日は早く帰れそうだ」 「そ、そっか……」  心臓がドキドキと騒ぎだす。大量の血液が送り出され、顔も耳も赤くなってゆくのがわかった。  どうしていいかわからず、どぎまぎしていると、清正がふっと笑った。  耳に息がかかり、背中が粟立つ。 「そろそろソファやラグの上じゃないとこ、どっか考えような」 「え……」 「さすがに、あそこで処女をもらうわけにいかないし」 「な、何をもらうって?」 「光をもらうんだよ。全部、俺のものにする」  それからまた唇を重ねて、短く啄む。 「これじゃ朝の作業が全然進まないな」 「そろそろ、汀、起こしてくる」  ドキドキする心臓を宥めて、清正の腕の中から逃れた。  何をもらうと言ったのか、よくわからなかったが、それが甘いキスの延長線上にあることだけはわかった。  汀が起きてくると、いつも通りの朝が始まる。バタバタと賑やかに走り回りながら、汀に食事をさせ、出かける支度を手伝った。  今日の予定を聞かれ、秩父に行くと言うと、朝は清正一人で連れていくと言って早目に家を出てゆく。汀も「よんしゃい」と親指以外の指をしっかり四つ立て、光が行かなくても大丈夫だと得意げに胸を張っていた。  二人を見送ると、掃除と洗濯は後回しにしてクルマを出した。

ともだちにシェアしよう!