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第97話
「あ、なんか俺チィが言いたいこと分かっちゃったかも」
「ハッ!? マジかよ、チィはいま何を感じてんだ?」
虎汰がそう言って立ち上がると驚く流星くんを軽く無視し、ボクのいる所まで来て少し身体を屈め顔を覗き込んでくる。
そしてペットボトルを握るボクの手に彼の手を重ね、優しく微笑んでくれた。
「チィはこの小さな空間に閉じ込められた雲が可哀想だって……そう思っちゃったんだよね?」
「………うん、……お空の雲……自由にプカプカ…何処へでも行ける。でも…この子……ボクのせいで、何処にも行けない……」
「じゃあさ、逃してあげようよ♪ 」
虎汰の提案にボクは息を呑み、滲み掛けた涙をそのままにバッと顔を上げた。
けれどせっかく皆がここまで準備してくれたのに、ボクの我儘でそんな事をしてもいいのだろうか……?
「チィが悲しい思いするくらいなら俺は全然逃がしてやってもいいと思うけど、皆はどう思う?」
そう虎汰が問い掛ければソファに座って静かに此方を見ていた皆は、優しい笑みを浮かべてコクンと頷いてくれた。
ボクは嬉しくなって持っていたペットボトルをぎゅうっと握り締める。
「じゃあチィ、窓開けるよぉ~♪ 」
「う、うんっ」
目の前の窓がガラガラと全開に開け放たれ、フワッと冷たい風が入ってきた。ボクはそれにぶるりと一瞬身を震わせたけど、逸る気持ちの方が強くて直ぐに気にならなくなる。
手にしたペットボトルの蓋を虎汰に開けて貰い、ゆっくりと窓の外に差し出す。だけどその中身は瞬く間に跡形もなく消え去ってしまった。
ボクはそれを呆然としたまま見つめる。
「……ぁ……雲、消えちゃっ…た……うぅっ……うええぇんっ」
その事実を認めた途端、ボクの両目からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
自分が逃がそうなんて言い出さなければ、あるいはこの雲もまだ存在する事ができたかもしれないのに……。
そう思うと胸が張り裂けそうになり、気がつけば声を抑える事ができなくてワンワンと泣き始めていた。
「ボクのッ……ヒック…ボクの、せいだっ……うあああぁんっ」
まるで赤ちゃんのように泣くボクに、隣にいた虎汰は凄く焦っていたけど涙が止まらない。
彼は助けを求めるように後方をそっと振り返る。すると今まで黙って見ていた朔夜さんがボクの所まで来てくれ、その場に片膝をつけてしゃがみ込むと顔を見上げた。
「チィ、雲は消えたんじゃない。ただ肉眼で見えなくなっただけだ」
「ヒック……見えっなく……なった、だけ……?」
「そう、気圧の変化で人の目には見えなくなったんだ……雲はまだちゃんと此処にいる。だから泣かなくてもいい」
優しく諭すように言う朔夜さんに嗚咽をなんとか堪え、ボクよりも低い位置にいる彼を見下ろした。
自分に向けられる眼差しはとても真剣で、嘘を言っているようには見えない。ボクはそれを聞いて漸くホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「チィは本当に真っさらなんだな……」
「………う? ボク……おバカさん……?」
立ち上がった朔夜さんに背中を押され、促されるまま窓の外でペットボトルを上下に数度振り、中に入っていたであろう雲を逃がしてから彼は窓を静かに閉めた。
盛大に勘違いした挙句、大泣きしたから皆に呆れられたのかもしれないと思いシュンと肩を落とす。
それは『あの部屋』にいた時から何度も言われてきたことだから……。
けれど朔夜さんは首を横に振った。
「違うよ、心がキレイだって言ってんの。これは学校行く前に色々教えないとだな」
クスクスと楽しそうに笑う彼の横顔はとても綺麗で、それに見惚れつつボクは自分なんかに優しくしてくれる朔夜さんの心の方がよほどキレイだと思った。
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