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第279話
―――ギシッ、
倉庫の自分の部屋へ戻って来たのは数時間前……。
気が沈み怠くなってしまった身体をキングサイズのベッドに投げ出して、仰向けに寝転がると右腕を額に乗せ天井を見上げる。
あれから加住と2~3言葉を交わして別れた。
奴は話の内容を呑み込むのに時間が必要だろうからと、数日の猶予を与え去ろうとしたが俺は即座に返答していた。
『チィの記憶を消してやってくれ』と―――…
迷いはなかった。
あいつが笑っていられるなら俺はどうでもいい。記憶を封印することによってチィと和之の関係が、このまま進展するかもしれないが? と加住は重ねて尋ねてきたが、それでも俺の考えは変わらなかった。
昔から諦めることには慣れている。
俺が身を引くことであいつの幸せが確約されるのなら、迷う必要なんて微塵もない。その決意を汲み取ったのか加住は穏やかに、でも哀れみの目でこちらを見ながら微笑んだ。
『チィさんはアナタにこんなに想われて、本当に幸せな方ですね。少し羨ましいくらいだ』
そう言って俺を静かに抱き締めた。
まるで幼子を宥めるように俺の頭を胸に抱き、労わるように後頭部を撫で梳く。
普段なら他人に身体を触られるのが嫌いでその腕を払っていただろうが、その時は払う気力もなくただされるがままだった。
人の温もりがこんなにも心地よいものだと感じるなんて、今までになかったことだから俺も驚く。それほど精神的にキテいたのだと自覚もなく、しばらくしてその腕から離れる。
『治療のことはアンタに任せる。専門的なことを言われても分からないしな』
『ではチィさんの体調が回復次第、彼の身元引受人である健吾さんと相談のうえ施術を執り行いますね。でも、本当によろしいのですか?』
『クドい、お前も医者の端くれなら患者のために己の信じた治療法を迷わず実行しろ』
そう言い残すと今度こそ席を立ち加住に背を向けた。
その際に奴の口端がほんの数ミリ上がっていたのにも気付かず、俺はなんの未練もなくその場を去ったのだった。
その後の記憶は曖昧で覚えてはいない。バイクで適当に街中を走り、気がついた倉 庫 に帰っていて誰もいないリビングのソファに深く腰掛けていた。
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