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第289話

向かいに座る流星も虎汰も何も言わない。 煌騎の決断を不満に思っている筈なのに、どうにもならないと分かっているからか、事の成り行きを見守ってくれていた。 「とりあえず……抱く抱かないはいま保留でいいか? ここから先は俺とチィの意志を尊重して欲しい」 「あぁ、勿論だ。2人に無理強いするつもりはない。どうしても無理なら言ってくれ。保証はできないが健吾と他に手がないか探り続けておく」 重い空気を払拭しようとなるべく明るい声音(トーン)で告げ、煌騎もそれを承諾してくれて安堵する。幾ら俺がいま決意を固めたとしても、肝心のチィが嫌がれば元も子もないからだ。 あの子のことだから心配せずとも俺を受け入れてはくれるだろうが、心が伴わなければすべてにおいて意味がない。 ふと壁にかけられた時計を見れば、チィにおやつを食べさせるにはもう遅過ぎる時間帯だった。なので少し早い夕飯に切り替え、支度をしてくると言って席を立っ。 すると何故か煌騎も同じように席を立ち、ローテーブルの上に置かれた財布とバイクのキーを手にした。 不思議に思って目で問えば、奴はうんざりといったように肩を竦める。 「俺はこれから出掛けてくる。夕飯は待たなくていいから先に食べててくれ」 「こんな時間に? 何処へ行くんだ」 「親父に呼ばれている。どうせ酒に付き合わされるんだろう。俺の飯は作らなくていい」 「………分かった」 あの日以来、1度として口に出さなかった『鷲塚』という名に、思わずピクリと過剰反応してしまう。チィをこんな目に合わせた張本人は、未だ何のお咎めもなしで尚も煌騎を独占しようと企んでいる。 そしてこいつもそれを許していた。 今までその理由が分からずにいたが今日、漸く話を聞いて少し納得する。あの女を自分に引き付けておく為に、煌騎は敢えて放置していたのだと……。 だから俺もこれ以上は何も追求しないことにした。同じ男を愛する者として、俺にしてくれたように奴の意志を尊重する。 リビングを出ていく煌騎の背中を見送りながら、不器用過ぎるあいつの分も俺はチィを大切にしようと心に誓った。

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