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第9話

 *  蓮華のお説教のせいで日付は変わってしまった。月も雲に隠れて少しだけ顔を出すのみ。縁側の廊下は灯りが点々と灯っているが人影はない。台所と、両親の寝室から灯りがこぼれているのみ。私と一宮がともに生活している離れに行けば行くほど、人の気配は消えていった。  起こしたら悪いからと、音を立てずに廊下を歩く。すると微かに声が聞こえてきた。  ぼそぼそと何か一宮が言っている。  私の気配に気づかないのか、小さくふすまを開けると真っ暗な暗闇の中、頭まで布団をかぶった一宮が小さな声で呪文のように唱えている。  耳を澄まして聞くと、それは残酷な言葉だった。 「僕は旦那様が好き。僕は旦那様が好き。僕は旦那様が好き」  暗示をかけるように何度も何度も何度も。  その愛らしい声で、情事中に何度も聞いた言葉だ。 『旦那様が好き。好きです』  寝ぼけて行っているわけではない。 今、布団の中で、自分に暗示をかけている。言葉を本当のものだと自分に言い聞かせている。  そのまま乱暴に襖を開け、布団をめくった。 「なっ旦那様っ」  涙を溜めて私を見上げている。その体には、私がつけた痕が生々しく残っている。  手足だけではない。乱暴に開いた時の太ももにまで。 「き、いて、聞いていたのですか」  ふるふると震え自分の体を包み込むように抱きしめると、後ろへ数歩後ずさった。 「滑稽だな」 「……旦那様、僕はただ」 「Ωだからな。私に捨てられたら行き場所がない。だから、だろ」  体が冷えていく。見下ろす彼を、あざ笑うがそれでも気分は晴れない。  私を好きだといったその言葉は偽りだった。 「旦那様、僕はただ……優しく、優しくしてほしくて」 「……」 「僕が好きになれば、旦那様も僕を好きになってくれるかなって。お話をもっとたくさんしてくださるかなって」  ネクタイをほどき、畳に抛る。上着を脱ぐと、彼が強張るのが分かった。 「大事にしてやってきたつもりだがな」 「違うんです。僕が欲しいのは」 「うなじをこちらに向けなさい」  私の言葉に、彼が目を見開く。 「発情期を待ってやっていた。それがやさしさのつもりだった。君が成人してからでもいいと思っていた。だが、それも間違ったやさしさだったようだ」 「旦那様」 「愛してあげよう。今すぐ、番にしてやろう。脱いでうなじを向けさない」  私はただ座って、彼の行動を見た。  私の目を見た彼は、おびえながら服を脱ぎ、一滴涙を流した。  背中を向けて、彼は嗚咽を漏らす。 「旦那様、僕を好きになってくれますか?」 「……しゃべらなくていい」  差し出されたうなじを、数回舐めると体が硬くなっていくのが分かる。  歯を立てる。何度も歯を立てて、怯える姿を堪能してから噛みついた。 「あああああああっ」  倒れる彼に覆いかぶさりながら、深く歯を立てる。  目を見開き涙を流しながら、布団を必死で掴んで痛みを耐える。  すすり泣く声と共に、肩から流れる血が、まるでバラの花びらのように。   その夜は、口にハンカチを押し込んで逃げれば歯を立て、優しくしてやった。反抗しなければ噛まないと学習した彼は、人形のように揺さぶられ、ただただ泣くだけだった。  気絶してもやめずに、怒りを注ぐ。私は彼の香りに狂っていた。  ただ一人狂っていた。傷つけても止まらなかった。

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