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 止めてしまおうかとも考えた。このまま大学に帰れば、まだ授業が終わるまでに間に合う。それで医務室に駆けこむなり、空き教室に行くなりして、嘘を本当にしてしまえば良い。友人には、「やっぱり柚陽(ゆずひ)が話してくれるまで待つことにした」、なんて、適当な理由を告げて謝ろう。  だけど。  柚陽が海里(かいり)の家に行く事を黙っていたのも、今こうして授業をサボっているのを隠しているのも、事実だ。信じたいと思ってる。信じたいと思ってるけど、陸斗(りくと)は生憎、そこまで純粋じゃない。「何かある」と思ってしまっている。この気持ちを放っておけばどうなるかは、記憶に新しい。  昨日、柚陽が陸斗の好きなメニューで揃えてくれた総菜は、本来なら柚陽が言ったように美味しいんだろう。でも、陸斗にはゴムを噛んでるみたいで、味なんて分からなかった。  ……今の状況は今の状況で、よろしくないっすよねぇ。  嫌でも頭の中に白い包帯をちらつかせる、そんな状況だ。柚陽との幸せを願うなら、やっぱり引き返すべきじゃない。これで幸せが崩れてしまっても、あの崩れ方よりは、悪くならないだろう。  言い聞かせて、マンションへの距離を縮める。  外観からの想像通りにセキュリティはそれほど厳しくなくて、すんなり中に入る事が出来た。何号室かもばっちり覚えている。真新しくもないけど、オンボロでもない、そんなごく普通のエレベーターに乗って、目的の階のボタンを押し込んだ。  目的の階には、やけに速く着いてしまった気がする。はあ、と。自分でも理由が今一つ分からない溜息を漏らして、陸斗はエレベーターから降りた。  重い足を引きずるようにして、目的の部屋に向かう。多分、のろのろ歩いていたはず。それでもそんなに長くない廊下。すぐに目的の部屋へと着いてしまう。防犯上の問題なのか、表札は出ていなかった。インターフォンも電池が切れているのか、鳴った気配がない。ならばと扉をノックしてみる。最初は軽くコンコンと。2度3度そうして、反応が一切ないので、隣に迷惑にならない程度に強く叩いてみる。ドンドン。やっぱり反応がない。  留守なのだろうか?でも柚陽はさっきまでここに来ていたはずだ。それともここの住人は柚陽とイイ仲になっていて、一緒に学校へ行った、とか。そうだとしたら、話し合ってきちんと別れたいトコなんすけど。いやでも柚陽はそんな事しないし、押されているだけかもしれない。  そんな風に葛藤しつつ、陸斗はノブに手を掛けた。留守っぽいからどうせ開かないだろうけど。そう思ったのにも関わらず、手応えは軽い。施錠された扉を開けようとしてしまった時特有の、阻まれる感覚はなかった。

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