179 / 538

 げほっ、ごほっ。扉を開けるなり、陸斗(りくと)は思わず咳き込んだ。埃っぽいというワケではない。けれど、そこの空気を拒絶するように、吸い込みたくないというように、咳が出る。空気が重苦しいし、ニオイもひどいのだと、少し咳が落ち着いた頃に悟った。  ひどい部屋だ。マンションの中で日当たりの悪い部屋ってワケでもないのに、この1部屋だけは昼間でも薄暗い。さすがに真っ暗ってほどではなくて、部屋の輪郭はなんとなく分かる。たとえば窓の遮光カーテンとか。性能はイマイチみたいだから、中途半端な明るさは、多分そのせい。  ニオイは吐きそうなほど無理という感じではないものの、いろんなニオイが混ざり合って、不快感を抱かせる。でも時折感じられる個々のニオイは、どれも、ソレだけなら陸斗が嗅いだことのあるものだ。  たとえば食事時とか。  陸斗は注意深く部屋を見回す。あまり家具らしい家具はないような気がした。タンスもないし、ベッドもない。  なら物が乱雑に置かれている物置なのかと言われれば、誰がどう見ても答えは「否」。乱雑に、どころか、ほとんど何も置かれていない。  たとえば怪我をした時とか。  たとえば、行為の後、とか。 「ッ、」 「ひっ、」  陸斗が息を呑む音は、そんな怯えきった悲鳴で掻き消された。震えて、掠れた声。聞き覚えのある、悲鳴。  ほとんど何もない部屋に、唯一置かれていた物。少し重たそうな机と椅子。机の脚に両手を繋がれて、横倒しになった椅子に足を挟まれている青年が、海里(かいり)が、そこにいた。

ともだちにシェアしよう!