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「海里 ……大丈夫、大丈夫っすから」
なにが大丈夫なのだろう。そもそも自分だって同じことをしたクセに。そんな言葉を自分の内側から聞きながら、陸斗 はなんの気休めにもならない言葉を口にする。
それでも海里の耳には聞こえていないのか、海里は誰が聞いても分かるくらいに震えた声で、怯えた声で、懸命に陸斗を、“目の前にいる誰か”を誘おうとしている。
そんな海里を見ても、以前の陸斗であれば、鼻で笑っただろう。「さすが淫乱に育てられたクズは違うっすね」なんて吐き捨てていたはずだ。明らかに、心底から怯えきっていて。それでも行為を望む理由なんて、そう多くはないだろう。
「おねがい、もっと、シて? なあ、おねがい、なぐっていいし、いくらでも舐めるから。だから」
たとえば、現実逃避。たとえば、心が壊れてしまった。たとえば、
「だから、おねが、刺すのはやめて……」
……もっと、酷い行為を避けるため。
なんでこんな事になっているんだろう。なんで、こんな事になっている場所に、柚陽 は出入りしているのだろう。何も分からない。現状も、柚陽の心理も。
でも今は混乱している場合でもないのだろう。陸斗は深みにはまりそうになる自分の思考を無理矢理に停止させる。今の授業が終わったら柚陽は陸斗を探しに大学内を歩き回るかもしれないし、ここに戻ってくる可能性だってある。だったら早くここから離れないと。
それより先に足だ。陸斗が机で潰した怪我も完治なんてしていなかったのに、今はそれよりも酷くなっている。1度立ち上がって、陸斗は重い椅子をどけると、音を立てて怯えさせないよう気を付けて、床へと置いた。やっぱり足の様子は、直視できないくらいに酷い事になっている。
海里の怯えようを見るに、陸斗が1人でここから離れさせるのは無理だろう。そこになんとか考え付いたと同時に、陸斗の中で1つ、疑問が浮かぶ。
海里を大切に想っている港 と波流希 は、何をしてるんだ。彼等がこんな状態を許すとは思えない。じゃあ、なんで。
答えなんてあるはずもない。思いつつ部屋に視線を巡らせれば、壊れたケータイが1つ、無造作に床へ転がっていた。見覚えのある海里のケータイだ。こうなってしまえば連絡も取れないだろう。
繋がらない可能性。信じてもらえない可能性。彼等さえこの事態に噛んでいる最悪の状況。
それらを考えながら、陸斗は震える手で、自分のケータイを取り出し、港の連絡先をタップした。
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