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「りく、と……?」
海里 が不安そうに名前を呼ぶのが、陸斗 にも聞こえていた。
今までした事を考えれば、海里の様子に胸を痛める資格などないのかもしれないし、あるいは当然の報いなのかもしれない。もしまだ、海里への怒りを抱いていたのなら、海里が望んでいる言葉を心からの本音で伝えられるのに。「オレは幸せっすよ」なんて、躊躇わずに言えるのに。
ああ、でも、本当に海里はこれを望んでるんすか。もうオレの幸せなんて望まなくて良いのに。オレの不幸を「ざまあみろ」って笑って良いのに。かつて、オレがアンタにしたみたく。
咄嗟に海里を抱きしめようと伸ばしていた手は、とっくに力なく床に落ちていた。陸斗の指先を、手を汚す血液が、体液が、誰のものなのかなんて分からない。なんの液体なのか分からない。
それでも今の陸斗には、そんな事を気にしている余裕なんてなかった。「かいり」相変わらず震える声で、名前を呟いた。
びくっと海里の体が、可哀想なほどに跳ねる。怯えているだろうに、まっすぐ陸斗を見つめようとして。でも、やっぱりその目線がズレているのは、恐怖のせいか、それとも視神経の類が傷付けられてしまってるのか。
「海里、オレは、オレは…………今更っすけど、凄く調子良いっすけど」
この言葉が正解かなんて、陸斗にはもう分からない。だって、これは取りようによっては「アンタのした事は無意味なんすよ」と言ってるのも同じ。
今の海里に感情の機微や、言葉の裏側を読み取ってる余裕なんてないだろう。それどころか、自分が求めて、縋っている言葉以外、絶望的なものに聞こえてしまうかもしれない。それなら嘘でも「幸せっす」そう言うのが良いのかもしれないけれど、それは勘違いなんだって、海里には分かってほしい。謝りたいなんて、調子の良い事は思わないから、と。
これは、自己満足なのかもしれないけれど。
今は海里を抱きしめる事も、撫でる事も出来ない手を床に落としたまま、ぽつりと陸斗は呟いた。
「やっぱ、アンタが、海里がちゃんと笑ってねぇと、ちゃんと元気じゃないと、ダメみたいっす」
「りく、と……? なに、言って……?」
怯えさせなかったのは、まだ良かった。それでも明らかに困惑しきった声に、陸斗がなにか答えるよりも先。
ガチャリ。そっと開けられているはずなのに、いやに陸斗の耳には響いて聞こえる音が鳴って、扉が開かれた。
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