202 / 538

 食事の後、シャワーを済ませて、適当な理由を付けて陸斗(りくと)の部屋になっている1室へこもる。建前は「柚陽(ゆずひ)に風邪をうつしたくないから」だけど、どこまでが本当なのか、もう、陸斗自身も分かってなかった。  ただ「風邪をうつしたくない」だけじゃ十分じゃないのも確かだ。むしろ重きは、ソコにない。自分とゆっくり向かい合いたかったし、(みなと)達から連絡が来たらすぐに見られるようにしたかった。  港からの連絡の方はまだ来ていないけど、静かな部屋でぼんやり天井を眺めているっていうのは、気持ちを整理するのに悪くない環境だ。  そういえばこの部屋に上がり込んでだいぶ時間が経つのに、この部屋で眠るのは久しぶりな気がした。結局荷物も送ってもらってないし、処分も頼んでいない。海里(かいり)はあの家をどうしたんだろう。  自分の手を顔の前まであげて、天井の代わりにぼんやり見つめる。  あの時、この手には幸せがあるものだと思ってた。でも、その幸せは壊れたと思った。騙されたとさえ思った。  そんなオレに、柚陽が幸せをくれた。だからオレは、本当に幸せになろうって、「懸念事項」を「憎い存在」を潰して、本当に幸せになろうって思ったんだ。  思った、んだけど。  ぐっと、強く拳を握り込む。爪が食い込んで痛みを訴えても、気にしないで。もしも本当に“ナニカ”がこの手に乗っていたら、砕けてしまうだろうに。  この手に乗ってたのは、なんだったんすかね。この手で掴んだと思った物は。  幸せを大切にしようと思っていた。そのために、不安因子を壊そうとした。後悔なんてしてなかったのに、もしかしたら、オレは。  大切に乗せていた物は、実はとてつもなく“イヤな物”で、無惨に潰したのが本当は“不安因子”でもなんでもなく、幸せだったんじゃないか、って。今更気付いても笑えないっすね。自嘲する気にもなれなくて、陸斗はそのまま、力なく手を落とす。額に甲があたって、ゴツン、なんて、この場には少し不似合いな間抜けな音が部屋の薄闇に溶けた。  カタッ、と。小さな物音が聞こえたのは、ちょうど、その時だった。

ともだちにシェアしよう!