209 / 538
12
「柚陽 、なんでこんなトコにいるんすか?」
「もう! それを言いたいのはオレの方だよ? りっくん、風邪気味かも、って言ってたんだから、夜遅くに出歩いちゃ、め! でしょ?」
いつもと変わらない明るい声で言いながら、柚陽は陸斗の鼻の頭を、つん、と軽く突いた。
恋人同士のたわむれ、と言えるくらいの触れ方。もちろん痛くなんてないし、爪を立てられたワケでもない。でも、それだけで陸斗は鳥肌が立つほどの恐怖を抱いていた。怖い。情けないけれど、柚陽が怖かった。
年月は短いなりに深い時間を過ごして、よく知っているはずの恋人なのに。
だからと言ってここで「そうっすね。帰るっす」なんて引き下がることはできない。そっちの方が楽だし、もしかしたら元通りの生活に戻れるのかもしれないけど、今の陸斗にはその道を選べなかった。
なにを大切に持っていて。何を握りつぶして。今、ナニを持っているのか。柚陽が掌に笑顔で置いた“ソレ”はなんだったのか。
今ではもう、自信を持って言えなくなっている。だからもう、あの日になんて戻れるワケがない。それに自覚した後悔が、海里 を潰して手にした幸せを、受け入れてはくれそうにない。
……人は失ってから大切なものに気付くと言うけど。それを陸斗は「愚かっすねぇ」なんて、あの家のリビングで笑った事があった。「オレは失う前から分かってるっすから」なんて誇らしげに言ってみせて、大切な人をそっと抱きしめた。オレも愚か者だったのかも。
「さっきの話、なんすか?」
「さっき?」
こてん。柚陽の首がいつもの角度に傾く。大きな目もきょとんとしていて、「りっくんがなにを言ってるのか分からない」っていう困惑を、雄弁に語ってた。それこそ、わざとらしいくらいに。
あの声の大きさは、明らかに誰かに聞かせようとしていただろうに。
ともだちにシェアしよう!