238 / 538

 怖がっていないのは明らかだし、なんなら陸斗(りくと)を煽るなり、陸斗を怖がらせるためにそう言ってるのも分かる。そして多分、柚陽(ゆずひ)は陸斗が見通しているのを全部分かった上で、こうしてる。  にこにこ笑って、無邪気な声をあげて。陸斗と柚陽が付き合っていた頃みたいな振る舞いを、ずっとずっと、続けている。  情けないっすけど、さすがに柚陽がバレてるのになんでソコまで押し通すのかは、ちょっと分からない。怒らせて手を上げさせるつもりなのか、それとも恐怖や怒りで海里(かいり)の場所を口走らせることを狙ってるのか。  よっぽどの事がなきゃ先に手を上げるなんて事しないっすけど、確かにオレは気が長い方じゃないっつーか、ハチャメチャに短いっすからね。ある意味、柚陽は人の事をよく見ているのかもしれない。だから陸斗をどうすれば怒らせたり、怖がらせられるかを分かっているんだろう。 「でも、ちょぉっとだけ期待したのはホントだけどね。本命はコッチかな」  とは言え、そんな怒りや恐怖で口走るつもりもない。本能的な恐怖には抗えないっていうのは、あるかもしんないけど、自分の恐怖から逃れるために海里を売るなんて、しねぇっすよ。というか、罪悪感で押し潰されそうな今じゃ、出来ない。  柚陽を睨む。なにを企んでるか知らないけど。「なに企んでたとしても、場所を教えるワケないじゃないっすか」そんな、単純で情けないけど、確固たる気持ちを込めて。  ゴソゴソと自分のポケットを探っていた柚陽が取り出したのは、ケータイだった。  目の前の陸斗をまるで気にせず、鼻歌さえ歌いながらケータイを操作してる。それなりに有名な、可愛らしい恋の歌だった。  「よしっ、と!」鼻歌をやめ、代わりに歌う様な声で一言。ぽん、と液晶をタップした指さえ弾んでいる。  「何を出してきたって無駄っすよ」、そんな風に恐怖も怒りも抑えて、素っ気なく言おうとした言葉は、  ん、あ…っ、ちがっ……やじゃ、ない、やじゃない、から、もっと……、  突然廃工場に響いた、少し割れた声に。甘さよりは恐怖を強く帯びた、海里の声に。  声になる事なく、喉の下で引っ込んで、「ぐっ」なんて、潰れた、間抜けな音を漏らしただけだった。

ともだちにシェアしよう!