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 海里(かいり)の体が小さくびくっと跳ねる。ああ、やっぱ怯えさせちゃったっすね。それは悔やまれるけれど、柚陽(ゆずひ)の手は止まった。視線を陸斗(りくと)に向けて、こてん、首を傾げる。  手は相変わらず、海里の髪を鷲掴みにしたまま。ぎちぎちと軋む髪は「痛そう」ってレベルじゃないんだろうし、本当に今の海里が柚陽を信じているなら、そんな信じている柚陽からのこの仕打ちだ、精神的な負担も大きいだろうに。 「さすがにやり過ぎっすよ。それに病人に掃除させるって、なに考えてるんすか。ここまで汚れた原因は柚陽にもあるんだし」 「えー。入院してるけど、どっこも悪くないんだし、病人とは言わないんじゃないかなぁ?」 「とにかく、さすがに見過ごせないっす」 「……ほんと、りっくんは変わったねぇ」  柚陽の手が唐突に海里の髪から手を放す。そこに「そっと放す」なんて配慮があるはずもなくて。それどころか、あえて突き飛ばすような勢いを付けたんだろう。「え」なんて困惑しきった声が聞こえた後、海里の体はバランスを崩してベッドから落ちそうになる。  病院のベッドはバカみたいな高さはないけど、それでも受け身もとれずに落ちても安全かと言われれば肯定できない。ましてや、今の床は海里が投げたもので散らばっているし、いろんな液体が目立っている。  安全性でも、衛生面でも、落ちても大丈夫なんて、とても言えなくて。 「っ、」  今の海里に触れれば怖がらせるだけだとか、触れる資格はもう自分にはないだとか。  そんな理屈を考えている余裕はもう、陸斗にはなくて、気が付けば病室の中へと駆け寄り、ベッドから転げ落ちるところだった海里を支えていた。 「あ」  それに気が付いたのは、海里の小さな声を聞いてからで。「ごめん」意味なんてないだろうし、謝っても許されない事を重ねてきたけれど、それでも謝罪を1つ告げてから、海里がきちんとベッドに戻ったのを確認して手を放す。  けれど、それは、放せなかった。  名残惜しかったんじゃない。名残惜しくなかったって言えば嘘になるっすけど、こんな状況で、こんな海里を前に、少なくとも今のオレじゃ、こんな浅ましい感情を優先できないっす。  離せなかった理由は、1つ。  海里が随分と薄く、痩せ細ってしまった自分の手を伸ばし、そっと陸斗の腕に触れたから。  もちろん、それを振り解けないほど、ひ弱じゃない。それでも陸斗は、海里の手を振り解くことが出来なかった。

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