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 陸斗(りくと)がようやく返した答えに、海里(かいり)はマンションで見せた様な困惑を浮かべることはなく、ただただ、満面の微笑みをみせた。  どっちかって言うと、今まで見てきた微笑みよりも、マンションで見たものに似てる。どっか壊れてて、歪で。だけど今、陸斗の目の前にある微笑みは、明るく、無邪気でもあって。  そんな微笑みを浮かべて、そんな微笑みに見合った声で、「よかった」海里はそう、切り出した。 「それなら、幸せなんだね! オレは、ゆずひといっしょで、幸せだから」  その言葉に陸斗は打ちのめされた。頭が、グラグラする。脳が揺れているような衝動に襲われて、足元の床が抜けたかのような浮遊感がして。海里が触れていなかったら、海里に触れていなかったら、そのまま倒れていたかもしれない。みっともなくて情けないっすね。  自分の、自覚よりもヤワだった心に呆れながらも、海里の言葉には絶望が広がっていった。  違う。違うっすよ、海里。海里の幸せは、そうじゃないじゃないっすか。  オレにはもう、海里の幸せを語る資格なんてないっすけど、オレは確かにアンタを壊しちまったっすけど。でも。  でも、悔しさでも、罪から逃れたい一心でも、なんでもない。ただただ、柚陽(ゆずひ)と一緒にいるのが幸せだと語る海里を、見たくなかった。マンションでの怯えようが、その張本人と一緒にいて幸せだと笑う、今の海里に重なる。  陸斗は何も言えない。波流希(はるき)たちが何も発さないのも、きっと「海里を怯えさせてしまうから」だけが原因ではなくなったのだろう。仮に、海里が彼等に普段通りの態度とは言わないまでも、怯えることもなかったとして。それでも彼等はこの瞬間、言葉を失っただろうから。  ただ、柚陽だけがやけに明るく嬉しそうで、「えへへー、オレも嬉しいなぁ」なんて弾んだ声で言っている。  弾んだ声で言いながら、大きな目をキラキラさせながら、柚陽は、こてん、首を倒した。 「オレと一緒にいるのが幸せならさ、できるよね? 床のおそうじ。ちゃーんと綺麗に舐めとれるかなぁ? 自分で汚したお部屋の掃除もできないコは、オレ、いらないんだけどなぁ」 「できる! できるよ!!」  さっきまでの怯えが嘘のように、海里ははっきりと、どこか慌てた様にそう言って、ベッドから起き上がろうとする。まだ足の怪我だって十分に治っていないのに。  それに舐めとらせるって本気なんすか? 無理に引き抜いたことで点滴の針から零れた薬品とか、血とか、精液とかで汚れてるのに?  だけど海里は、誰がどう見ても汚い床だというのに、気にする様子を一切見せずに、必死で立ち上がろうとしていた。

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