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ずるり、と。壁を支えにどうにか立っていた体が、僅かに沈む。完全に座り込んでしまうことは防げたけれど、それさえ時間の問題かもしれない。
ケータイ。見慣れた小さな機械越しに聞こえてくる柚陽 の声がひどく不気味で、得体の知れないナニカを手に持っているような、不気味な錯覚にさえ襲われる。
「……できれば、海里 と2人で幸せになりたいっすけど。オレにはそんな資格、ないっすからねぇ」
恐怖に震えながらも、どうにか返した言葉は、震えていただろうか。普段通りにも聞こえるけど、柚陽が相手だ。十分悟れてしまうくらいには、震えていたかもしれない。
柚陽のことじゃ、また無邪気な笑い声をたてるんだろう。陸斗 がそう思った事をあざ笑うように、電話の向こうが発したのは、笑い声じゃなくて。
溜息、だった。
あきれたような。聞き分けのない子供に対して漏らしたような、そんな溜息。
理由なんて分からない。それでも、「なんで、なんでっすか」今の陸斗を怪訝に思わせて、動揺を生むには十分だったと思う。
「しっかり、しっかりするっす」自分に言い聞かせて、冷静さを少しでも取り戻そうとする。柚陽の声を聞いた時点で、そんなものは持っていなかったかも、しれないけど。
「もー! それは、海里の都合、海里の気持ちでしょ? オレはりっくんのコトを聞いてるのー!! りっくんは、あれだけ恨んだ人間を、また好きだって言える?」
「……まあ、我ながら調子良いなぁとは思うっすけどね。海里が許してくれるなら、海里が受け入れてくれるなら」
「なんでも海里、海里なんだねぇ。自分のことなのに。そーいう恋の仕方、オレには分かんない」
「アテが外れた」そう言わんばかりの態度で、実際「あーあ」なんて言いながら柚陽はそうぼやく。だけどそれが本心かさえも分からない。疑心暗鬼はロクな事にならないって学んだつもりなんすけど。
柚陽が陸斗に揺さぶりを掛けにきたのなら、本命はどっちなんだろう。まだ恐怖が重く広く残っている頭に、「考えるっす」訴えかけて、陸斗は思考を巡らせようとする。
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