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「アンタはもしかして、紗夏(さな)のことが」  言い掛けて、陸斗(りくと)は口を閉じる。わざわざ声に出すのが、なんというか無粋な気がした。踏み込んではいけない部分だと思った。  とは言え、そこまで言えばよっぽどの鈍感でもない限り気付いてしまうだろう。柚陽(ゆずひ)とて例外ではない。ましてやもう陸斗の前で演技する必要もなければ、そのあたりの記憶が混濁しているらしい今ならなおさら。  柚陽は綺麗な泣き笑いを浮かべて、こてん、首を傾げた。 「どうだろう? ……ううん、自分でも分かってるんだけどね。オレはいつからだったか、好きだったあの子よりも、紗夏の事が気になってたかもしれない、って」  柚陽の泣き笑いに自嘲の色が添えられる。それは見た人間の胸を、きゅっと締め付ける様なものだった。事情、柚陽の愛し方。それらを知っている人間でも、「自業自得だ」なんて糾弾できないだろうくらいには。  陸斗も例外ではなく、言葉を失って、思わずぼうぜんと柚陽を眺める。場合によっては海里(かいり)の件を責められる発言だというのに、言葉が出てこない。  そんな陸斗に柚陽は、にこっと微笑みかけた。寂しそうではあったけど。泣きそうではあったけど。それでもどこか、花が咲いた様に感じられる笑い方で。 「身勝手だけど、やり直したいと思ったのかも。……確かに好きなあの子の親友や幼馴染も鬱陶しくてたまらなかったけど、ここまで強く憎んだのなんて、紗夏のクソアニキ気取りだけなんだ。それがなんでなのか、もっと早く気付けば良かったかなぁ」  もしかしたら。そんな疑問が陸斗の中で頭をもたげる。だけど、気付かないフリをした。 「今からでも、遅くないんじゃないっすか? まあ、紗夏はアンタのこと心配してるんで、早めに連絡入れてあげた方が良いとは思うっすけど」  柚陽は一瞬驚いた顔をして、けれどそれからすぐに、微笑んだ。  色々な感情がそこには渦巻いていた。悲しいものも、苦しいものも、怒りも。  それらを綯い交ぜにしながら、でも無邪気な可愛らしい笑顔を見せて「ありがとう」柚陽は弾んだ声で言った。  そのあと、「りっくん」と口が動いた気がするのは、思い込みによる錯覚だろうか。

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