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月藤(つきとう)を壊してほしいんだ」 「……は?」  今、この男はなんと言った。頭なのか心なのか。とにかく陸斗(りくと)にはその言葉が理解出来ず、満足に思考が働くより先に、口がその音だけ漏らした。  遅れて脳が思考を始めようとするも、それより先に。「ああ、そうは言っても」と、隼也(しゅんや)が言葉を続ける。  へらっと笑った顔には恐ろしさなんて微塵もないが、不気味でしょうがない。知らず庇うように左手を腹部に添えていた。 「別に完全に壊しきらなくて良いぜ。やっぱソーイウのは自分でやらなきゃ意味ないだろうから。でも、最近なかなか月藤に会えなくってさ。だからお前に協力してもらいてぇんだけど」  少しだけ時間を掛けて隼也の言葉を噛み砕き、飲み下す。  途端、内側からじわりと毒が滲み出てくる様な不快感に襲われる。吐き気さえ覚えた。遅れて感情が「怒り」と「呆れ」を生み出す。 「聞けないことは聞けない。オレ、そう言ったよね? ソレは聞けない事っすよ」 「そうか?」  隼也は陸斗の拒絶に発狂するでもなく、素直に諦めるでもなく、きょとんとした。「なんで断られるかが分からない」と目が語っている。同時に「断られる筈がない」という絶対の自信さえ窺えた。  なんでそう思えるんすかね? やはりナイフを持っているからだろうか。まあオレだって、そう何度もグサグサされたくはないっすけど。  でも、だからと言って、アレだけなんとも隼也を否定し続けた陸斗が、何故ソレを了承すると、こんなにも思い込めるのだろう。 「壊すって言っても、本格的にじゃなくて良いんだぜ? なんなら足を潰して、少し精神的な負担も掛けた上で、床にでも転がしておいてくれれば良い。あとはオレがやるし、オレがやるべきだからさ」 「程度の問題じゃねぇっすよ。なんでオレが紗夏(さな)にそんな事しなきゃいけねぇんすか。そもそもオレ、言ったよね? アンタと柚陽(ゆずひ)なら、傍にいるべきは柚陽だって」 「いや、陸斗はやってくれると思うんだけど」  「だから!」やらないっすよ、切り出そうとした陸斗の反論を、しかし隼也は今度は待たなかった。  右手に持っていたナイフを構えて、にっこりと笑う。しかし刃先が向いているのは陸斗にではなくて、天井に対して。  天井。上の階にある、病室。  隼也は、にこっ、と微笑んだ。それはそれは、とても綺麗に。 「だってお前が聞いてくれないなら、オレは海里(かいり)を壊すからさ」

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