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崩れた歯車で動いていく、
コンコン、礼儀正しいノックの音と「失礼します」なんて礼儀正しい声。ゆっくりと顔をそっちに向けるけれど、どうにも見覚えがない顔だ。ここまで来るっていうことは、多分知らない人間ではないだろうに。
病室に入ってきたのは、白い肌に長めで綺麗な黒髪、大人しそうな顔立ちの少年。多分オレよりちょっと年下っすかね? 不躾にならない程度に訪問客を陸斗 はじっと見つめる。なんか見覚えがある気もするんすけど。
「……あの、ごめんなさい、陸斗さん」
泣きそうに目が潤んで、眉も垂れ下がっている。ちょっとした刺激でも加われば、大きな目からぽろぽろ涙が零れてしまいそうで、陸斗はなんて答えたら良いか迷う。
それでも無言を貫いたら余計に心配を掛けてしまいそうだし、なにか言わないとっすかねぇ。それでも簡単に言葉が出てきてくれなくて、「あー……」なんて意味を成さない言葉を繋ぎのように漏らして頬を掻く。
「多分アンタのせいじゃないっていうか……オレもなにがあったか、よく覚えてないんすよね」
陸斗としては当たり障りのないことを言ったつもりだった。言ったつもりだったけれど、どうやらそれは「ハズレ」だったらしい。
目の前で少年は、ますます泣きそうに目を潤ませて、それでも涙だけは零すまいと言うように目の端をごしごし擦る。少し強めに擦り過ぎてしまっているのか、白い肌に赤い跡がはっきりと目立った。
知らない人といっても、どっか見覚えはあるし、わざわざ病室に来てくれているし。そんな相手が目の前で泣きそうになっていたら、気になってしまうものだ。
「えっと、大丈夫っすか? そんなに擦ったら跡になっちゃうっすよ? 腫れるだろうし、オススメ出来ないって言うか」
「オレにやさしくしないでください、陸斗さん」
「って震えた声で言われても、困るって言うか……。ホント、アンタはオレの入院と関係ないっしょ?」
「ないとは断言できません。オレ、やっぱりズルいです。陸斗さんに恨み言の1つ2つ、10や20言ってほしいだけなのかもしれない。そうして、償ってるんだ、って自己満足に浸りたいだけかもしれないです」
「いや、話が読めないんすけど……」
入院したのは腹の刺し傷が原因だ。それは覚えている。入院してからしばらくの記憶が少し不鮮明で、思い出そうとすると頭痛なり、吐き気なりに襲われる。だから「なにか」あったんだろう。
それなら「原因」を目にして、なんら不調を訴えないなんてこと、ないだろうに。この少年を前にしても腹の傷は痛まないし、頭痛もない。しいて言えば、胸がずきりと痛む。「泣かせたくないのに」「傷付けたくはなかったのに」って。
……まあ、そう思うと、どうしたって思い浮かんでくる顔があって、その顔は、オレの抱えているんだろう「なにか」と切っても切れない位置にあるらしくて、酷い不調に襲われるんだけど。
だから「守りたい」「泣かせたくない」みたいな感情とは、出来るだけ離れていたいところだ。まあ、「だから出て行ってくれ」なんて、そんな不躾な事も言えないっすけど。
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