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そして幸せは牙を剥く
誰かがオレを呼んでいる。
その声は頼りなくて、弱々しくて、今にも消えてしまいそうで。
それなのにその声は必死にオレを呼んで、オレを案じている。
バカっすね。アンタの方が辛そうなのに。今にも消えていきそうなのに。
その声の主に手を伸ばしたくて、重い腕を懸命に上げて、「りくと、りくとぉ」なんて、小さな子供みたく泣きそうにオレの名前を呼ぶ、アンタの輪郭にそっと触れて、
「陸斗 !! 陸斗、なあ、オレが分かるか!?」
切羽づまった声が、涙でぐちゃぐちゃになった綺麗な顔が、陸斗を現実へと引き戻した。
綺麗な顔、とは言え、大分やつれてしまっているけれど。陸斗を見つめる目には、すっかり光という光が零れきってしまっていたけれど。
それでも陸斗を見て、必死に訴える海里 の髪を撫でようと腕を上げかけて、それがあまりに重い事に気が付いた。
「無理するなって、陸斗」
「アンタこそ、無理しないでほしいっすねぇ、海里」
それは果たして、きちんと言葉になっただろうか。分からない。
それでも海里の顔に、安堵が広がっていくから、少なくとも「海里」の部分はきちんと発音出来たのだろう。
「バカ! 陸斗のバカ!!」
……どうやら、心配を掛けてしまったらしい。
満足に動かない体が、事情を読み取れなくとも十分に語っていた。だから「バカ、ほんとにバカだ」「こればかりは、お前の幸せでも受け入れられねぇよ……」。ぶつけられる海里の言葉を反論せずに受け止めた。
反論するだけの気力もないのだけれど、気力があったところでそうしていただろう。
ただ、泣きながら名前を呼び続ける海里を、撫でることさえできないのは、ひどく悔しいけれど。
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