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「なに言ってんだよ、月籐(つきとう)。もうあんなヤツが好きだって演技は必要ねぇんだって。つーか止めろ。演技だって分かっても不愉快で仕方ない」  隼也(しゅんや)の顔が露骨に歪んで、忌々しげに吐き捨てられる。  聞いている人間を怖がらせるような声。  陸斗(りくと)にとっては少なくとも、愛する人に掛けるような言葉だとは思えなかった。だって、そんな声、嫌いな人間に掛ける声音じゃないっすか? 隼也って男が、この子のことを好きなら、そんな声、出せるはずがない。  好きな人っていうのは、もっと。  確かにオレも、間違えてしまった時があるけど、それでも。 「……隼也、って言ったっけ? アンタ、本当にこの子のことが好きなんすか?」  この男には関わらない方が良い。陸斗の本能がそう警告している。  ましてや、今の自分は、紗夏(さな)という少年のことも覚えていない。放っておいても良いはずだ。  だけど、何故か放っておけなかった。  忘れた記憶に理由があるのか、それとも紗夏が、どっか、海里(かいり)と似ているからか。  陸斗の言葉は火に油を注ぐにもってこいだったみたいで、隼也が目に見えて怒りを爆発させた。  派手な足音でベッドに近付き、陸斗の胸倉を掴もうと手を伸ばす。  波流希(はるき)が気付いて止めてくれたけれど、それでも怒りは治まらないみたいで、波流希の腕を振り解こうともがいていた。 「オレは! オレは!! 少なくともあのクズ野郎よりよっぽど月籐を大切にしてるっつーの!! ……お前なら! お前なら分かるだろ!? 海里のお兄ちゃんなんて呼ばれてるくらいなんだからさぁ!!」  自分を抑えているのが波流希だと理解したみたいで、矛先をそっちに移した。  ちょっとそれは止めてもらいたいっすね。相変わらず隼也に対する嫌悪と恐怖は消えないものの、陸斗は内心で小さく舌打ちした。  波流希にもしものことがあったら申し訳ない。波流希にも、海里にも、(みなと)にもどう償えば良いのか分からない。  なんとか、こっちに注意を向かせる方法は。恐怖でいまいち動かない頭を、無理に働かせながら考える。けれど、波流希の方が早かった。 「そうだね」  隼也への嫌悪感を一瞬だけその目に見せて、だけど、とても穏やかな声で、波流希は言った。

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