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両親の葬式の後、アパートの荷物はあらかたまとめてあった。後は要らないものを捨てて、居るものを持って行くだけだ。だけど、いざ要るものを考えると、どれも要らないものばかりだった。
車に積んだ荷物は、ノートパソコンと、僅かな着替えのみ。家具やその他は運び出すまでもなく、廃棄の予定だ。
両親の仏壇も遺影も、実家に置いてある。
このアパートはもう引き払う予定だし、来週は月曜日だけの出勤で、後は有休消化のみだ。その間に仕事を見つける段取りを組んでいた。
「……それで、音無は何をしに来たんだ」
「何って、だから美景さんに会いに来ました」
アパートの鍵を閉め、車に戻るとそこには音無が立っていた。ニコリと笑みを携えているのは変わらない。
「会いにくるような理由はないだろう」
「そうですか?俺は美景さんに興味があるので来ますよ」
「ーーーーーー昨日の会話じゃ、まるで人間に興味がないようだったが」
ため息を吐きながら車の鍵を開け、扉を開くとーーー、助手席側からがしゃん!と何かが壊れる音がした。
「………おい、音無いまのおとーー」
助手席側に回り込むと、ガラスが割れ、音無の手が血だらけになっているのが見えて息をのんだ。
「ちょ、音無、おまえ」
「……あぁ、すみません。壊してしまいました」
「そうじゃない!手、怪我をしてるじゃないか。こっち」
急いで音無の怪我をしていない方の手をつかみ、階段を駆け上がると鍵を開けた。洗面所なんて思いつかず、そのままキッチンの流しで音無の手を洗う。
「ーーーー美景さん」
「なんだ。痛くないか?あぁ、ほら、ガラスが刺さってーー」
「美景さん」
「だから、なに」
言いかけた言葉を、音無の手が俺の口をふさぐことで止めた。
「確かに、俺は人間がどう死のうが、殺されようが興味はありません。それぐらいの価値もないと思っています」
音無は笑顔を消し、真顔で俺を見つめる。口から手を離すと、水道を止め、手に刺さっていたガラス片を抜き始めた。
「ーーー…音無」
「…なんでしょうか」
「おまえは、人じゃないんだろう」
思わず口をついて出た言葉に、俺はすぐにハッとなり、音無から視線を逸らして救急箱を探す。置いて行く荷物の中にあったその小さな箱から消毒液を取り出すと、いまだにキッチンに突っ立ったままの音無の元へ戻った。ガラス片はあらかた抜いたらしい。シンクに広がる血溜まりにめまいがした。
「……美景さんは、変わった人の子ですね」
「普通だろ。手、貸して。消毒ーーー」
「要りませんよ。もう治りましたから」
表情も無く、音無がそう言い放つ。俺は僅かに音無を見上げてまた怪我をしていた方の手を取った。確かに、ただ血だらけなだけで、さっきまであった切り傷はもうなくなっていた。
「人間に与する気持ちなんて理解不能でしたが、なんとなくわかる気がしますね」
「はぁ?」
「ねぇ、美景さん」
音無がクスリと笑い、まだ僅かに血のついたその指先で俺の頬をなぞる。僅かに鼻につく血の匂いに眉をしかめた。
「俺、貴方に決めました」
ゾッとするほど綺麗に笑み、音無の手が服の襟を掴む。そこからはなにが起きたのかわからずに、ただ、うなじより少し下の方に音無の顔が近づいた。
「あつ…っ」
一瞬の熱さと痛みに思わず声を上げると、音無が離れる。
「なにを」
「美景さんが誰かに取られたりしないように、印をつけただけです」
「は?」
「ーーーー…自己紹介、しましょうか。美景さん」
ふふっ、と笑いながら音無の両頬に人間にはあり得ない鱗が現れて、俺は思わず後ずさった。
「俺は、鬼ですよ。美景さん。龍と鬼。そして天狗の血を引く正真正銘の化け物です」
綺麗に笑うその表情は、僅かに歪んで見えた。
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