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「鬼」
「説明しましょうか」
うなじを抑える俺に、音無がクスクス笑いながらそう言った。
「…いや、…人間じゃ、ない…んだよな?」
「そうですね。俺には人の血は一切流れてません。そもそも、人里に降りたのも久しぶりですよ。…10年ぶり、くらいでしょうか」
「普段は?」
「山に住んでます」
「ーーーーーー…山」
それは、どうして降りてきたのだろうとか、人じゃないのにまるで人にしか見えないとか、怪我が跡形もなく治った事実とか、そんな事よりも驚いた。
山。
山か。この街は里だから山までは少し距離がある。
「毎日、山に?」
「あぁ、いえ。最近は借りてます。部屋を。とは言っても寝るだけなので布団しかありませんが」
「……そう、か」
小さく呟くと、音無が首を傾げながらうなじを抑えていた俺の手を取り、ぎゅっと握ると、あぁそうだ、と言葉を続けた。
「美景さん、俺と必要以上に離れたら死にますよ」
「は…?」
ぎゅっと握られた手を見つめ、音無を見上げて、また手に視線を落とした。
「もう俺との繋がりができたので」
音無をまた見上げると、首を傾げたままにこりと笑う。左耳の長いピアスが揺れて、目眩にも似た感情に握られていた手を引き抜いた。
いとも容易く解けた手に、長く息を吐いてから腰に手を当てる。
まずは現状を把握したい。大体、なんでこんな事になっているんだ。本当なら、今頃実家について荷物を整理したり、掃除をしたりしているはずだったのに。
そうだ、車の窓が割れて音無の手が血だらけになったから部屋に戻ってきて、訳のわからない事に。
「ーーーー離れたらって、どれくらいだ」
「気になるのはそこですか」
「大事だろう」
「……日にちとか時間じゃありませんよ。おそらく、一キロも離れられません」
「なら、ずっと近くにいないといけないのか」
「そうなります」
正直、試してみないと嘘かどうかもわからないと思いはしたものの、未だに音無の頬に浮かぶ鱗が現実を突きつけている気がしてため息しか出ない。
確かめるように音無に手を伸ばし、その鱗をなぞると、確かに本物だった。
「ーーー…鬼、って、言ったけど何で鱗」
「説明が長くなっちゃいますから、それはまた今度教えます。それから、美景さん」
「なんだ」
「貴方が俺を好きになったら、距離の制限はなくなりますよ」
頬に伸ばしていた手をゆるりとつかみ、口元に寄せると手のひらにキスをされた。じわじわと上がる熱に、思わず音無の手を払う。
「なに、を」
「早く俺を好きになって、楽しい事、たくさんしましょうね」
結局、窓ガラスが割れたまま実家まで走り、実家近くの車屋に修理に出した。
助手席に乗っていた音無は目まぐるしく変わる景色が気に入ったようだったけれど、今はいそいそと洋服を畳んでいる。違和感しかない。
「……音無」
「何ですか?」
「ファミレスでは普通に食べていたが、俺は今味を全く感じない。だから最近はあまり食事も取らないがーーーお前は普通に食べるだろう。どうするんだ」
「………そこですか」
「離れたらいけないんだろ。なら仕方がない」
居間は古びた長机が一つと、少しばかり新しいテレビ。キッチンは何気に対面になっていて、明かりも新しい。それを考えると、少しばかりさみしくなる。
家族で住んでいた家だ。もう何もかも空っぽになってしまってはいるが、思い出は確かにあるし、飾られた写真も、ある。
わずかに胸が軋んだ気がした。
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