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act.1誘惑クローバー<2>
* * * * * *
葵がまず向かったのは入学式が行われる学園の講堂だった。国内でも有数のお坊ちゃま校として知られるここ桐宮学園では、学園内の設備も内装も豪奢な、けれど品の良いイメージで統一されている。中でも講堂は別格に美しい。扉の取手ひとつとっても、溜息の出るほど細かな彫刻が施されている。
「葵くん、早いね」
取手に手を掛け扉を押そうとしたまさにその時、背後から声を掛けられて葵はビクリと肩を揺らした。けれどその声音が慣れ親しんだ先輩のものだと気が付き、笑顔で振り返る。
「おはようございます、奈央 さん」
「おはよう」
同じ生徒会に所属する先輩、奈央は葵の挨拶に柔らかな笑みを返してくれた。さらりとした焦げ茶色の髪と、同じ色の瞳。いつでも穏やかで爽やかな彼は、学園内で王子様のポジションをほしいままにしている。
今だってごく自然に葵の前に立って、重い扉を代わりに開いてくれるのだ。
「奈央さん、それ持ちます」
「いいよ、あとちょっとの距離だから」
せめて奈央が脇に抱えるダンボールを代わりに持とうと提案してみるが、それもやんわりと断られてしまう。先輩に荷物を持たせたまま後をついていくのは少しだけ気まずいものがある。
だが言葉通り、奈央は講堂を入ってすぐ設置されている机の上にダンボールを置いてみせた。
「これ、何ですか?」
「ん?コサージュ。葵くんも去年着けなかった?」
ダンボールを開けて奈央が見せてくれたのは、造り物の花飾り。奈央の言う通り、確かにその花には見覚えがあった。
「ここで新入生一人ひとりに着けてあげるんだ。……って、その話しなかったっけ?」
「え?そうですか?」
「あぁ、そうだ、葵くんその日の会議休んでたんだ。引き継いでなかったね、ごめん」
覚えのない話に首を振れば、奈央からはそんな謝罪が送られた。確かに葵は入学式の段取りを決める会議を一度風邪を引いて休んでしまったことがある。恐らくその時に話し合われたことなのだろう。
でも小さい頃から些細なことでバランスを崩す葵の虚弱な体が悪い。葵はそう感じて、謝る奈央を止めるよう必死に首を横に振ってみせた。
「もう体調は大丈夫?」
「はい!だから何でも言って下さい。全部やります」
「ハハ、頼もしいね」
現行の生徒会では葵だけが唯一の二年生。必然的に雑用は葵の役割になるのだが、気が付けば奈央が先回りして葵を手伝ってくれることが多い。その状況を打破するためにも力強く拳を握ってアピールすれば、奈央からは髪をくしゃりと撫でられてしまう。信頼してもらえているとは思うものの、子供扱いをされているのは間違いがないようだ。
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