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act.1誘惑クローバー<38>

「あーあ、馬鹿なことした。忍は途中で暇になるんだった」 「お前にはあるまじきミスだな」 忍は軽く笑って答えたが、その眼鏡の奥の目は笑ってはいない。二人のいるテーブルに歩み寄り、櫻の支えを失ってへたりと床に座り込み放心状態でいる葵の頭を撫でる忍の手つきはひどく優しいが、櫻に向ける目は一層厳しくなった。 「お前だろう?抜け駆けは無しだと言いだしたのは」 そう、二人は約束をしていた。葵に手を出すときは一緒に、と。葵から二人のどちらかを選んだ場合は例外としていたが、どう見ても今回は櫻が強引に迫ったことは明らかだった。 「ごめんごめん。葵ちゃんが可愛くて、つい。ね、葵ちゃんやっぱり紹介出れないかな」 軽い調子で謝る櫻に、忍は意外な返事をした。 「心配ない。もう式は終わらせてきた」 「え?終わらせたって?こんな早くに?」 櫻がまさかと思っていたことを、どうやら忍はあっさりやり遂げていたらしい。 スピーチ後に二人の不在に気付き、すぐにでも式など放りだして探したい気持ちに駆られた忍だが、そこは学園のリーダー。無責任な行動を謹んで控え、だがそのあとの予定を全て大幅に短縮して行い、役員紹介も二人の不在のまま終わらせてきた。 「忍がそこまでするとは思わなかった。忍も、相当本気なんだ?」 まだぼーっとして身動きがとれない葵にシャツを着せてやり、下げられたズボンも直しベルトまできっちりと締めてやっている忍に、櫻は珍しいものを見るような視線を送り、そして尋ねた。 「そもそもコレは俺が見つけたんだ。初めから本気だと言っているだろう。まぁ……」 忍はそこまで言ってまだ正気に戻らない葵を抱え上げ、櫻に正面から向き合った。 「お前の本気とは一緒にしてもらいたくないがな。これで満足か?葵を自分に従わせたいのならこういう手段が一番だろうが、それが目的なわけじゃないだろう?」 痛いほど真剣に説教をしてくる忍に、櫻は思わず目を逸らした。全て図星なのだ。 確かに葵は欲しいし、独り占めしたい。生徒会では奈央ばかりに懐いているように見えて、むかつきもした。自分の偏った性癖上、葵を思い切りいじめて泣かせたくもなる。だからどんなに葵が泣こうと、葵に嫌われようと、もうどうなってもいいと思いさえした。 けれど、忍の言うとおり、心の底で望んでいるのはそうではない。葵の傷付いた姿を見ると今まで痛んだこともないような心のどこかがチクンと突かれる。抱きしめて”ごめんね”と謝りたい衝動にも駆られる。 そんな未知の自分が怖くて、恐ろしくて、櫻はどうしていいか分からない。どちらが自分なのか分からない。実はさっきまでの行為中も、そんなもう一人の新しい自分が何度も訴えかけてきた。戻れなくなってしまう、と。 「葵を傷つけたいのなら、俺は今後一切協力はしない。これがお前の愛し方だとは、呆れたよ櫻」 困惑した表情を浮かべ始めた櫻の心の揺れを、忍もなんとなく察知していた。だからあえてきつい言葉を浴びせる。葵に関してはライバルでもあり、それにこんなにも葵を傷つけて憎みたくもなるが、長年の友人である。なんとか冷静になってもらいたい。 「二度目はないと思え」 忍はそういい残すと、葵を連れて部屋を出て行った。 残された櫻は、初めてはっきりと自覚した自分の動揺を隠し切れずに忍に何の返答も出来ないままその背中を見送った。

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