42 / 1596

act.1誘惑クローバー<41>

* * * * * * 葵を抱えて控え室を出た忍は、式を終えて校舎へと向かい始めた生徒たちとかち合わないように、ほとんど人の通ることのない細い裏道を選んで寮へと向かっていた。こんな葵の姿を誰にも見せたくなどなかったからだ。 早く寮に帰って、腕の中でまだしゃくりあげ、自分の胸に顔をうずめてくる葵をしっかりと正面から抱きしめて安心させてやりたい。 愛しい葵に、自分の気持ちを伝えたいとは忍も思う。だがまだ子供で鈍感な葵に思いを伝えるには櫻のような方法が正しいとは到底思わない。 忍は葵がきちんと理解し、受け止め、そして答えを出してくれるまでは最後まで抱くつもりなどなかったし、葵を想う周りの人間にもそれを求めたい。葵と出会う前の忍と比べたらおかしいほど甘い考えだ。 だが忍の考えを伝えていたはずの櫻は最近痺れを切らしたのか、ますます葵にちょっかいを出すようになって忍も気にかけてはいた。 けれどまさか本当にここまで泣かせるような真似をするとは、想像していなかった。葵をどんな風に抱きたいかなんて談義する櫻の言葉を本気と受け止めていなかった自分の甘さを、忍は反省していた。 「葵、眠ったのか?」 運よく誰にも会うことなく到着した寮のエレベーターの中で葵を見下ろすと、葵は緩く目を瞑って大人しくなっていた。声をかけても反応はない。 生徒会専用のフロアがある最上階のボタンを押すと、エレベーターは音もなく静かに上昇した。 到着したフロアには赤い絨毯が敷き詰められている。葵がそのふかふかの感触をえらく気に入っていたのを忍は思い出して、少し笑ってしまった。それだったら変な意地を張らずにここに住めばいいのに、とその姿を見て何度思ったことか。 このフロアの一番奥に、毎年会長となる人物のための部屋がある。他よりも一回り大きな部屋。そこはまさしく学園のトップにふさわしい内装をしている。 その玄関口となっているチョコレート色をしたレトロな雰囲気を漂わせる重い扉の横には、それにそぐわない機械がついている。この部屋の鍵の役割を担う、カードキーの読み取り機械だ。 そこに忍がポケットから取り出した金色のカードを通すと、ピピッという電子音とともにロックが解除された。 元々備え付けられている家具はアンティークで少し華美なものが多い。忍はそういう雰囲気も嫌いではないが、どちらかというとシンプルなものが好きなため、部屋は自分好みにさっぱりとアレンジしていた。 葵を抱えたまま通り抜けた広いリビングも、あまり装飾品は置かずにいるので殺風景な印象すら与える。奥にある寝室も同じく、だ。 ただ葵をゆっくりと寝かせたベッドは異常なほど大きい。学園の王にふさわしいキングサイズのベッドである。長身の忍でも、これほどのベッドに一人で寝ればさぞスペースが余るであろう。 「……ん」 忍が下ろしたままの体勢では寝辛かったのか、少し声をあげて葵が寝返りを打っても、まだまだベッドの中心にいるのは変わらなかった。忍はそんな葵にふかふかの羽根布団をかけてやると、まだ濡れている頬をそっと指でぬぐってやった。 そして今の心境とは裏腹の明るい青空模様を窓から見上げて、深いため息をついた。

ともだちにシェアしよう!