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act.1誘惑クローバー<53>
「あぁ、西名か。どうした?」
いつものポーカーフェイスはこんなときでも健在。出てきた忍は憎たらしいほど涼しげな顔をしていた。
「葵、返してください」
忍が葵を……そう考えると腸が煮えくり返りそうでそのお高そうな眼鏡ごと顔をぶん殴ってやりたい気さえしたが、下手をして扉を閉められでもしたら大いに困る。だから京介はできるだけ穏やかにそう申し入れた。
「葵なら……今は寝ている。しばらく休ませたいんだが」
だが予想外に忍は真面目に応答してくれた。葵が行方不明だ、会長たちに襲われたんだ、なんて勝手に想像して大騒ぎしていたのは間違いだったのか。京介はあまりにも拍子抜けな忍の態度にそんなことまで考えたが、どうしても”しばらく休ませたい”というフレーズが気になった。
「お前の考えているようなことはしていない。……俺はな」
尋ねるとそんな答えが返ってきた。そして立て続けに今回の事の顛末を聞かされた。都古の悪い予感は的中したらしい。そして京介の胸騒ぎも当たってしまった。
副会長だろうと関係ない。話を聞いたあと京介はいますぐ櫻を殴りたいと、本気でそう思った。だが、その前に葵をしっかり抱きしめてやりたい。きっと何も分からないで不安だっただろう。
「俺も、今回のことは櫻を止められなくて悪かったと思っている。西名、お前は俺ともきっとこれ以上葵を一緒に居させたくないだろうが、葵が目覚めたら少し話がしたいんだ」
だから忍のこんな頼みも、最初は聞いてやりたくなどなかった。すぐに葵を抱きしめてやりたい、ただそれしか考えられなかった。
だが、葵のことを労わる見たこともないような忍の優しい目と真剣な口調に、京介はほだされてしまった。そして話が終わったら連絡すると約束をされ、その場を後にせざるを得ない状況にされた。
やはりどこかで後ろ髪引かれる思いはしたが、後々の葵のことを考えるとこの選択がベストだったとそう自分に言い聞かせた。
きっと今葵を迎えたら、もう二度と生徒会に行くな。彼らと会うなと怒って束縛してしまいそうな気がする。
けれどどんなにからかわれようと苛められようと、葵は忍にも櫻にもよく懐いていたのを知っている。仕事が出来てかっこいい、憧れている、などとたびたび京介に話してきたりもした。
だからこのまま葵を無理矢理二人から引き離すのは葵にとって幸せなこととは思えない。いつも自分を責めがちな葵だから、きっとまた自分を責めて傷付いてしまうだろう。
葵のことを思っての選択だった。
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