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act.1誘惑クローバー<73>

「全然、寂しくなんてないです。ちゃんと一人で頑張るって約束して…だから大丈夫なんです」 全く理由にならない言い訳を重ねながら、葵はブレザーの袖で溢れ出る涙を拭って席を立った。 「しおり、印刷しちゃいますね」 葵が向かう先は、修正したばかりの工程表が出力されている印刷機だ。シックな調度品が集められた生徒会室には不似合いな機械の前に立った葵は、全生徒分の数を入力して、スタートボタンを押した。 全てを印刷し終えるまでには時間が掛るというのに、葵はすぐには席に戻るつもりはないらしい。 印刷機の前で微動だにしない葵の白金の髪や首筋を、窓から差し込む夕陽が溶かすように赤く染めていく。それを席に残された三人はしばらくじっと見つめていたが、一番先に動いたのは奈央だった。 「葵くん、手伝うよ」 意地を張る葵にどう声をかけようか考えあぐねている忍や櫻よりも先に、奈央が葵の側に寄り添った。誰よりも先に違和感に気がついていた奈央は、二人よりも葵との付き合いも長いし、接し方も二人に比べれば随分と上手だ。 そんな光景に妬けてしまうのは否めないが、二人は見守るしかない。 「寂しくないなんて言ったら悲しませちゃうよ、きっと」 やってきた奈央の柔らかな笑顔を見上げた葵はまだ目尻に雫を浮かべているが、一時よりは少し落ち着いているように見受けられた。 卒業していった先輩を惜しんで涙を流すのは、櫻が茶化したように子供っぽすぎるが、葵と彼らはただ生徒会で同じ時間を過ごしたという間柄ではない。 奈央の知る限り、彼らは幼稚舎からずっと一緒に過ごしている。 二学年離れているから、幼稚舎と初等部、初等部と中等部、といったように校舎が別れてしまう時期は必然的に発生していたが、それでも昼休みや、互いの授業が終わった後など、離れている時間をすぐに埋められる距離には居た。 ここまで会わずに過ごすことは初めてなのかもしれない、と奈央は葵の心中を思いやりながら、そっと肩に手をかけた。 「僕も本音言うと、二人が卒業しちゃったのは寂しいし、まだ慣れないよ」 「……奈央さんも、ですか?」 「そうだよ。ほとんど毎日生徒会で顔合わせてたからね」 忍や櫻が離れた席で、”自分たちは寂しくない、むしろ清々している”なんて趣旨の言葉を発していることに気がついたが、奈央は聞かなかったふりをして、ようやく素直に反応を示すようになった葵に向き合う。 でも、葵が何かを言いかけようとして口を開いた瞬間、印刷の終了を告げる簡素な電子音がそれを遮ってしまった。 せっかく素直な気持ちを吐露しかけたというのに、葵はまた口をつぐんでしまい、何事もなかったように仕上がったプリントを抱える作業に没頭し始めてしまった。 でも泣き出した時よりはずっと葵の表情はしっかりしていたし、奈央はそれ以上話を続けることなく葵の作業に手を貸してやる。 暗に”卒業生二人の代わりになれていない”と言われたような忍と櫻は少し不満そうではあったけれど、ここまで頑なな態度の葵を見るのが初めてでそれ以上涙の理由を追求することはしなかった。

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