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act.1誘惑クローバー<78>

「……ただ、ただ、毎日、苦しいの」 「どうして、だろ?つらい?毎日」 「ううん。楽しい。楽しかった……はずなのに」 ただ寄り添うだけの都古の返答は、今の葵にとっては何よりも素直な言葉を導きやすい。葵が拙く紡ぐ言葉を、都古は根気強く待ち、時々震える背中を支えるように撫でてやった。 「最近、一年生のときの夢、ばっかり見るの。でね…朝起きて、”そうだ、もう二年生だった”って。悲しくなるんだ」 「……二年生、楽しみ、だったのに?」 「うん。だから変なの」 葵が今の生徒会のメンバーである忍や櫻と親しくなったのは、最近だ。二人とより仲良くなりたいと言って、進級して一緒に生徒会の活動を行うことを何より楽しみにしていた。 それに、葵にとっては今まで無縁だった”後輩”という存在が出来るだろうかと期待をしていたことも都古は知っている。 だから本当は自分以外見つめてほしくなかったけれど、強く葵を引き止めることは出来ていなかったのだが。 「アオ、それは…多分」 葵が進級を楽しみにしていたことが嘘偽りないのだから、都古が思い当たる理由はただひとつ。 進級すると必然的になくしてしまう存在、卒業生の二人のことだ。しばらくは気が張っていて二人のいない生活の寂しさに気が付かないで居たのだろうが、じわじわと葵の体を蝕んできたのだろう。 普段は無邪気で元気な印象が強いが、葵は精神的にはひどく脆く不安定だ。だからこそ都古とも深く分かり合えるのだけれど。 葵がはっきりと不調の理由を自覚していない以上、都古の口から原因を告げて自覚させていいものか、それとも時の流れに身を任させたほうがよいのか。 思案する都古のせいでしばらく沈黙のときが流れたが、それを破ったのは少し乱暴に開けられた扉の音だった。 「……藤沢、くん。こんな所で何を?チャイムはもう、鳴っているはずですが」 声を掛けてきたのは生物の教師だ。葵を抱きしめている都古には一瞥もくれず、葵だけに話しかけるその視線は妙な熱を帯びている。 「あ、ごめんなさい。ちょっと…あの」 「アオ、行こう」 ここは化学室で、彼は本来は隣の生物室の住人。わざわざ顔を出してきた理由を察した都古は、言い訳を考えようとする葵の手を引いて強引に教室を飛び出してみせた。 失礼な態度をとった都古のことを気にして葵は、立ち去りながらも振り返って軽く頭を下げてみせたが、返ってきたのはにんまりとした微笑みだった。

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