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act.2追憶プレリュード<8>

大きな真ん丸い瞳に、筋の通った小さな鼻。ほんのりと薔薇色に染まった柔らかそうな頬。そして桃色のぷっくりした唇。全てが完璧なまでに愛らしい。 その姿だけでも十分に浮世離れしているが、より造り物のような印象を与えるのは表情によるものが大きい。この年齢の子供が浮かべるには計算され尽くしている、儚い微笑み。 幼い頃の自分の姿をひたすら避けて通ってきた葵が、こうしてあの時の姿を客観的に目の当たりにしたことは殆どない。 思い出したくもない過去が胸の奥底に封じ込めていた記憶の扉から溢れ出てきそうになって、葵は慌てて写真を封筒の中へと戻した。 この封筒は今朝、生徒会の仕事を行うために一人集合場所へ向かおうとした際、寮監から呼び止められて渡されたものだった。 寮監に差出人を尋ねたが、この封筒は葵宛との添え書きがある状態で寮のポストに投函されていたらしい。差出人不明の事実がより葵の不安を煽った。 今この学園の中に葵の過去を知る者は京介と都古以外居ないはずだが、この二人がわざわざ葵の記憶を呼び覚ますような事を、こんな形で行うわけはない。 それならば、一体誰が、何のために。 得体の知れない存在への恐怖に、葵の指先が小刻みに震えだしてしまうから、その震えを押さえるために、葵はそっと自分の左手首を口元に運ぶ。 「………ッ」 袖口から覗く白い肌にそっと犬歯を立て、力を込めるとツプリと突き刺す感覚がする。そうするとしばらくして鉄の味が口に広がっていった。 幼い頃から自身を落ち着けるために行なってきたこの癖が、いけないことなのは葵もよく分かっている。 それでも不安を覚える度にどうしても腕を口元に運んでしまうのは止められない。今日だって、封筒を受け取ってから腕を噛むのはこれが初めてではなかった。 そのおかげでカーディガンの袖の下には薄く血の色が透けたかさぶたがいくつか浮かんでしまっている。 京介にはこの行為を見咎められる度に叱られているし、都古は代わりに自分の腕を噛ませようとしてくるから、この二人には絶対にバレないよう、気をつけてはいたけれど。 もしバレてしまったら。言いつけを破ってしまったことで、二人にがっかりされるのではないか。そんなことを考え出すと、ますます不安を押さえるために噛む力が強くなってしまう。 完全なる悪循環にハマってしまった葵は、また更に震える唇を肌に押し付けた。

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