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act.2追憶プレリュード<36>
残念と思わずにはいられないが、初めから無理強いなんてするつもりはない。
幸樹は滅多に触れられない葵を、名残を惜しむようにぎゅっともう一度強く抱きしめると立ち上がるために膝を立てた。
だが、葵が一向に肩に回した手を離してくれない。
「ん?どった、藤沢ちゃん」
「あの、帰っちゃうんですか?」
「帰らへんよ。外で待ってるから安心しい」
本能的に橘を危険人物と認識しているから部屋に一人残されると思って不安なのだろう。そう解釈した幸樹は落ち着かせるように、自分の人工的な金髪とは比べ物にならない位さわり心地の良い金糸を撫でてやる。
でも葵は落ち着くどころか、まだ心細そうな目線を返してきた。
「ほんと、ですか?上野先輩、すぐどこか行っちゃうから…せっかく会えたのに、また離れちゃうの、嫌です」
そう言って葵が更に抱きついてきて、幸樹の鍛えられた体にそっと頬まで寄せてくる。
「藤沢ちゃん、それ結構な殺し文句やけど自覚ある?お兄さんやって珍しく二人っきりになれてんのに離れたくなんかないで?」
葵の番犬代わりである京介の顔が一瞬ちらりと浮かぶが、もう幸樹には引くという選択肢は頭から抜け落ちてしまった。
「相思相愛っちゅーことで……お兄さんといちゃいちゃしよっか?」
葵の髪に隠れた耳を暴き出して唇を落としながら囁いた言葉。葵からは言葉で返事はもらえなかったが、やはり葵の手が幸樹を離さないから肯定と受け取っても問題ないだろう。
早速幸樹はバスチェアから葵の体を下ろし、あぐらをかいた自分の前に膝立ちの状態にさせた。
「……ん?いや?触られたくない?」
幸樹が葵の背後にある棚に並ぶボディソープのポンプに手を伸ばして自身の手の平に向けてプッシュしだすと、葵はようやく幸樹をこの場に残すことが、幸樹に身体を洗われることだと理解したらしい。
体のバランスを保つために幸樹の肩に置いていた手を慌てて離そうとしてくるから、幸樹も改めて葵の意思確認を行う。
といっても、葵が否定しにくいような言葉を並べるのは幸樹のずる賢さ。
「先輩として可愛い可愛い後輩の面倒見てあげたいんやけど…あかんの?」
「気持ちは嬉しい、ですけど…はずかし、です」
ジッと目を合わせて幸樹が尋ねると、葵はやはりはっきりと拒絶の言葉は口にしない。だから幸樹はダメ押しで葵の幼馴染を引き合いに出した。
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