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act.2追憶プレリュード<51>

「……どうしよう」 羽織っていたカーディガンを脱ぐとすぐに目につくのは両腕の真新しい傷。タイミング良く奈央が席を外してくれたし、パジャマは長袖だから腕を隠したまま着替えを行うことは出来る。 でも、この傷が完治するまで、京介や都古の前で一切腕を露出しない生活を送るのは難しい。 つい夢中で噛んでしまったけれど、こうして冷静になると途端に不安がこみ上げてきた。 それを払拭するように急いでパジャマに着替えたが、脱ぎ捨てたカーディガンをハンガーに掛けようとした時、ポケットからあの封筒が少し顔を出していることに気が付いた。 初めはただその封筒をポケットの奥に戻そうと手にしただけ。それなのに、葵の手は勝手にまた封を開けてしまう。 そして頭の奥が警告するようにずきずきと痛み出したことも気にせず、中の写真を引っ張り出した。 「…………え?」 前回仕舞った時の向きのせいで、初めて葵は写真の裏に文字が書かれていたことを知った。 写真裏面の左下にひっそりと書かれているのは、紺の万年筆で紡がれた筆記体。流れるような美しい手書きのそれは、葵の心を大きく揺さぶる言葉を紡いでいた。 “ママとシノブを忘れたの?” 簡単な英文は頭を捻らずとも簡単に訳すことが出来た。それは直接的な中傷でもなく、罵倒でもない。ただの問いかけだが、葵の胸を深く深く抉る。 「忘れるわけ、ない」 正体の検討すらつかない差出人に向けて、押さえきれない震えた声が漏れた。と同時に脳を埋め尽くす程大量の記憶が津波のように一気に押し寄せてくる。 でも、その波に飲み込まれる寸前、響いた外からのノックの音で葵の意識はかろうじて保たれた。 「葵くん、入るよ」 オートロックだから、と奈央は葵の部屋の鍵を持って出ていった。だから本当なら確認をせずともすんなり入室できるのだが、こういう所でも気遣いを忘れない彼に葵は感謝した。 おかげで写真を枕の下に押し込む時間を得ることが出来た。 「お待たせ。あ、着替えてたんだね。ごめん、最中だった?」 シルバーのトレイにマグカップを二つ載せてやって来た奈央は、葵がパジャマを身に纏っている事に気が付いて申し訳なさそうに尋ねてくれる。 「いえ、ちょうど着替え終わったところでした」 普通の声が出せただろうか。まだバクバクと鳴る心臓の鼓動が響いているのがバレないか不安だったが、葵の返事に対しては奈央はホッとした顔を見せるだけだった。 「良かった。これ、まだ熱いけど、多分美味しく淹れられた、と思う」 はい、と言って手渡してくれるクリーム色の地に水色の小さなドットが入ったマグカップはいつも葵が生徒会室で利用しているもの。なぜここに?という疑問が顔に出てしまったらしい。

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