131 / 1597
act.2追憶プレリュード<52>
「櫻が生徒会室のティーセット一式持ち込んだんだけど、これもその時持ってきたんだって。だから僕のもあった」
苦笑いしながら奈央が掲げるのは、ネイビー一色のシンプルなマグカップ。それもまさしく奈央がいつも生徒会室で使用しているものに違いなかった。
「こっちにもティーカップぐらいあるんだけど、いつも使ってるやつじゃないと嫌なんだって。本当、我儘だよね」
友人の妙なこだわりに奈央は呆れているようだったが、葵はこうして自分たちのカップまで運んでくれることが櫻の分かりにくい優しさに思えて胸がじんわりと温かくなる。
そしてまた先程のようにソファに並んで座り甘いココアを口にすると、写真を見つけた時に一気に氷点下まで突き落とされた感覚だった体も、ゆっくりと熱を取り戻してくれた。
「……おいしい」
「そう?でも葵くんはもう少し甘いのが好みじゃない?砂糖足りなかったかな」
「でも、寝る前に甘いものはダメってお兄ちゃんにも遥さんにも怒られちゃうから」
確かに奈央の言うとおり、葵がいつも飲むココアと比べたら甘さは控えめだったが、兄と慕う冬耶や遥には注意されがちだ。
それに甘いものが苦手な京介なら、きっと奈央が淹れてくれたこのココアの甘さですら”甘すぎる”と言って眉をひそめるに違いない。
「そういえば、去年の歓迎会の夜も三人でココア飲んだね。懐かしい」
去年の歓迎会では葵は奈央、遥と同室だった。遥とは昔からよく一緒に眠ることはあったが、奈央とそうして過ごすのは初めてで、とてもはしゃいでしまった覚えがある。
離れたベッドで眠るのが寂しくて。でも一つのベッドに三人で眠るには狭すぎて。解決策として三つ横ならんだベッドの隙間を埋めて繋げたのはいい思い出だ。
「トランプもしましたね。いっぱい勝負したのに、全然勝てなかった」
「はは、確かにそうだったね。でも葵くん、ババ持ってるとすぐ顔に出ちゃうから」
三人の思い出を掘り起こしてみれば、葵にとってはあまり良いものではない記憶まで蘇ってきた。でもそれも含めて楽しい、大切な時間だった。
高等部を卒業した遥はすぐに海外へ留学してしまったから、遥と過ごした時間を思い返すと寂しさと切なさで胸がきゅんと痛くなる。
あの日から何度も経験してきた痛みも、不思議と奈央と共に楽しい思い出を振り返ると随分と和らぐ。それどころか、もっともっと思い出したくなってしまう。
それはつい先程、封じ込めてきた苦い記憶が溢れ出てしまいそうだったから、塗りつぶすためにも余計かもしれなかった。
ともだちにシェアしよう!