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act.2追憶プレリュード<64>
「ね、葵ちゃん。あの不良の煙草の匂いすごいするよ」
「え、ホントですか!?」
「ほんとほんと。朝食行く前にシャワー浴びたほうが良いんじゃない?」
櫻の指摘に、バカ正直に自分の体を嗅ぎ始めた葵を見て笑いが零れそうになるが、思いついた作戦を実行するためにはいつも以上に葵に優しくしてやらねばならない。機嫌を損ねたら終わりだ。
「ね、だからさ……」
櫻は何度意地悪を重ねても自分に懐いてくる葵の蜂蜜色の瞳を見つめながら、天使の声音で悪魔の誘いを持ちかける。
「一緒に入ろっか」
ちゅっと短いキスを葵の頬に送りながら誘うと途端に葵の頬が赤く染まっていく。そして照れたように目を伏せた葵は首を横に振ってしまう。
「なんで?僕も葵ちゃん抱きしめたら煙草臭くなった気がして嫌なんだけど」
暗に葵のせい、なんてワードも含ませて断る要素を少なくするあたり、櫻はやはり意地悪だ。
「恥ずかしい、し」
「僕だって恥ずかしいけど、葵ちゃんのこと好きだから平気だよ。葵ちゃんも僕のこと大好きでしょ?言ったよね?」
仲直りしたあの日、葵が泣きながら告白してくれたことを持ちかければ葵の顔が更に赤くなった。でもなかなか”うん”と言ってくれない。
焦れた櫻は、葵の体を再度抱きしめるとそのまま自分の肩口に担ぎ上げてしまう。華奢なように見えて櫻だって普通の男子高校生。小柄な葵を抱え上げるなんて造作のないこと。
だがそのままバスルームに入ろうとした時、更なる侵入者が現れて足止めを食らってしまった。
「またお前は強引に事を進めようとしているんじゃないだろうな?」
朝から色気たっぷりの低音の持ち主を櫻はよく知っている。振り返れば、扉にもたれ掛るようにして立っていたのは案の定、生徒会でも、そして私生活でも櫻の相棒とも呼べる存在の忍だった。
「ノックもせずに入ってくるような人に言われたくないんですけど」
「お前だってどうせ勝手にスペアキーで入ってきたんだろう?俺の部屋から盗んだな?」
どうやら櫻の悪事はバレていたらしい。きっと忍は櫻が抜け駆けすることを想定して更に合鍵を用意していたようだ。でなければ、本来一つしかないはずの合鍵を忍が今手の中で弄んでいるわけがない。
「…あ、会長さん、おはようございます」
「だーかーらー、空気読んで、葵ちゃん」
危うくバスルームに連れ込まれ悪戯されかけ、そしてそれを忍が見咎めて一触即発の雰囲気だと言うのに、やはり葵はどこか危機感がない。
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