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act.2追憶プレリュード<76>
* * * * * *
試合を見届けた葵はこのハーフタイムの休憩中、京介たちに飲み物を差し入れするため、本拠地であるテントに一旦戻ろうとしていた。
そこには運動部のために氷水を張って大量のペットボトルを冷やしている大型のクーラーボックスが準備してある。自由に持ち出し可能なそこから見繕って持っていこうと考えたのだ。
「藤沢!」
ボックスを前に何を持ち出そうか悩んでいると背後から少し尖った声を掛けられる。振り返ればそこには、さっきまで京介と対戦していたうちの一人、安達が立っていた。
「あれ、どういうこと?俺は真面目に告ったつもりだったんだけど」
怒気をはらんだ彼の声に、葵は戸惑うことしか出来ない。彼から渡された手紙は京介に奪われてしまったし、中身は試合相手を探してほしいなんて依頼だったと聞かされているのだ。葵には彼がなぜ怒っているのか見当もつかなかった。
「聞いてんの?」
焦れた安達が葵の肩をトンと押すと小柄な体は簡単にバランスを失ってしまう。よろめいた葵が慌てて近くのクーラーボックスに手をかけて支えを求めたが、ボックスも不安定な台の上に置いてあるだけ。
「……うぁッ」
盛大な水音とともにボックスはひっくり返り、中の氷水が葵の全身に降り注ぐことになってしまった。
葵をそんな目に遭わせるつもりは微塵もなかった安達も慌ててボックスを押さえにかかるが手遅れで、葵が身にまとうブレザーも、シャツも、そしてスラックスまでずぶ濡れ状態。
周囲にまばらにいた生徒たちは、憧れの生徒会役員であり、学園中の高嶺の花である葵に不可抗力とはいえ危害を与えた安達に対して、突き刺すような視線を投げかけ始めているし、テント内に居た教師からは非難の声が飛んでくる。
「あ、俺…そんなつもり、じゃ」
逃げることも出来ず、かといって明らかに自分の過失に対してまともな言い訳も出来ない安達はその場で立ち尽くすことしか出来ない。
「ふ、藤沢くん、大丈夫?」
いくら温かな日差しが降り注いでいるとはいえ、まだ4月。氷水を浴びれば当然ひとたまりもない。震える体を自分の腕で抱きしめるようにする葵に一番に声をかけたのは、テント内に待機していた生物教師の一ノ瀬だった。
葵以上に、一ノ瀬が伸ばす手、そして指先は小刻みに震えている。それは彼が間近で葵を視界に入れられること、そして堂々と触れる機会を得て湧き上がる興奮を必死に抑えている証だ。
「あ、はい、大丈夫です。ごめんなさい、こぼしちゃって」
「そのままだと風邪、引いちゃうよ。藤沢くんは体、弱いんだから…き、着替えたほうが、イイ」
葵の言葉は耳に入らないのか、浮かされた様子の一ノ瀬は熱い吐息を零しながら勝手に葵のシャツのボタンに手を掛けようとする。
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